誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第86回
人生の帳尻

私は再三、自分の青春期が暗かったという話をしている。
しかし、だからといって私は人を恨んだり、
青春を目いっぱい謳歌した友をうらやもうとは思わない。
ただ、体調まで狂わせてしまうか細き神経が、
もう数ミクロン太かったらなあ、とは思う。
私はしょっちゅう下痢をしていた。
母は胃腸の弱い子なのだろうと、
効き目のありそうな薬をとっかえひっかえ与えた。
お陰で私は幼くして“ヤク漬け”になってしまった。
今も慢性的な下痢に悩まされているのは
その後遺症かと思う。
もっとも、この頑健そうな肉体を見れば、
私が日に10回もトイレに駆け込み、
人生の大半を便所の中で過ごしているとは誰も思わないだろう。

母は胃腸病と勝手に診断していたが、
実は神経の病気であった。
大江健三郎の初期の作品の中に
『共同生活』という小品がある。
この作品の中には四匹の猿が出てくる。
猿たちは八畳の部屋の四隅にがんばって、
主人公の青年を四六時中見つめている。
猿どもの視線を避ける死角はなく、
青年は恋人を部屋に連れてくることもできない……。
実は結末で猿が青年の妄想であったことが明かされるのだが、
そんなことは私には最初からわかっていた。
似たような猿を私も飼っていたからだ。

夜中にふと目が覚めると、
この性悪な猿が自分の上に覆いかぶさるようにして
覗き込んでいることがあった。
頻繁に猿が出てくると、神経症が高じてきた証拠で、
なぜか左脇腹が痛くなった。
母は私がそんな持病に悩まされていたことを
まったく知らなかった。
私の部屋には猿がいる、などととても言えるものではない。
一つ屋根の下に暮らす親兄弟といえども、
みなそれぞれ秘密をもって生きている。
親は子のことなら何でも知っていると思いがちだが、
実は何も知りはしない。
錯覚なのだ。
現に母は、私の神経症を単なる胃腸病だと思っていた。

人間の一生の幸福感の総量は誰も似たり寄ったり――
曾野綾子が、たしかそんなふうなことを言っていた。
私もそう思う。
青春期はみごとにまっ暗けのケーであったが、
壮年期に入ってやや薄日が射してきた。
この先は、もっと陽が当たってくれそうな気がする。
先憂後楽がいいのか先楽後憂がいいのか、それはわからない。
しかしどっちに転んでも、どこかで帳尻が合うような気がする。


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