誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第88回
東大出の悩み

以前、雑誌の仕事で、
ある男性(仮にAさんとする)を取材した。
実に魅力的な人物であったが、
一つだけこの男性には“瑕瑾(きず)”があった。
この瑕瑾のおかげで、
人物がいくぶん小さく見えてしまったのは
まことに残念なことであった。
そして二重に残念なのは、
彼は最後までそのことに気づかなかったことだ。
瑕瑾というのは彼の学歴のこと。
彼は東大を出ていた。

東大出の学歴が玉にキズとはどういうことなんだ、
と訝るムキもあろうが、
ごく一部の例外
(ゴマを擦らせてもらうなら、
お世話になっている邱永漢さんとか私の義兄とか?)を除いて、
東大出という履歴は立派なキズになるのである。
Aさんにはいろいろな話を聞いた。
仕事のこと、家族のこと、趣味や生きがいについても
根ほり葉ほり聞き出した。
ただ学歴だけは聞いてなかった。
私のことだから、単にうっかりしていただけかも知れないが、
Aさんは、私がいっこうにそのことに触れてくれないので、
内心イライラしていたようすだった。

Aさんはボンクラな取材者が早く気づいてくれないものかと、
遠回しに探りを入れてきた。
しまいには我慢の限界だったのか、
《嗚呼、玉杯に花受けて……》と一高寮歌を口ずさみもした。
Aさんは上目づかいに私の顔色をうかがった。
私も意地がわるい。
Aさんが東大出だろうということは、
最初のヒントでわかっていた。
百も承知で、空っとぼけていただけなのだ。
東大出身者の悲しいところは、
相手がそのことに気づいてくれないと、
不安でたまらなくなってしまうことだ。
そして気づいてくれるまでの間、
本人の涙ぐましい努力が払われる。
ほんとうにお気の毒という外ない。

以前近所に住んでいたM家は、
旦那が東大出身で、一男一女も東大生。
末の長男が大学受験の時期に、
あいにく遠方に引っ越してしまったが、
みごと東大に受かったことを私に知らせようと、
別件の用事を装って旦那はわざわざ足を運んでくれた。
そしてAさんの場合と同じように、
息子が東大に受かったことを遠回しながら、
懸命に知らせようと励んだのだ。
ようやく私から「おめでとう」の祝福を受けると、
彼はようやくホッとした顔を見せた。
当然ながら、彼はそれ以来プッツリ姿を見せなくなった。
東大出には気の安まるときがない。


←前回記事へ 2005年9月7日(水) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ