杉浦秀子さんが掘り起こしてくれる
日常に埋もれた美のヒント

第61回
夢の続き

ほんの数年前まで、楽器演奏する人を見て
「あんな風にアドリブができたら幸せだろうな。
心の奥にある何かを表現できたら、
どんなにか素晴らしいことかしら」
と憧れていました。
そして、今、その夢が途中まで叶いました。
数年前までには、考えもつかなかったことです。
一口にJAZZと言っても、
そのスタイルは様ざまであり、
そのスタイルの存在さえも知らなかったのです。
CDを聞いていても、
何をやっているのか、さっぱり分からず
暗中模索の状態が何年か続きました。
その過程については、別の機会に書きますが、
願いが少し叶った今、私は自分が幸せかどうか
ということを考えています。
結論から言えば、「幸せ感」は以前と変わりません。
勿論、集中してセッションをしているときは
最高に幸せを感じます。
しかし、別の悩みも生じています。
お客さんを集めなくてはならないとか、
この業界には世の中からお金が
殆ど流れてこないということ、
自由業は激しい嫉妬の渦の中にあるということなど
思いも寄らなかったことに直面しています。

もしかしたら、夢を叶えるということは
こうゆうことではないかと感じはじめました。
夢に憧れている間は目標に向かって
必死になって走っているけれど、
夢に近づいたり、叶ったりしても、
また別の悩みが出てきて、
人は永遠に満足することはないのではないか
ということです。
かといって、焦燥感に押しつぶされそうに
なっていては身が持ちません。
理想的な状態というのはなく、
人は生きている間悩み続けるのかもしれません。
その悩みを一つ一つ解決するために、
生きているのかもしれないのです。

女性が年齢を重ねて行く時によく
「いつまでも夢を持ちましょう」
と雑誌などに書いてあります。
これは、言い方を変えれば、
「悩み続けましょう、苦しみは続きます」
ということでもあるのです。
「夢を実現させましょう」
と簡単に書く人は夢を持ったまま
大切に暖めている人の言うこと。
夢は、喜びと苦しみが同量にある未開の土地へ
歩きつづけるということではないでしょうか。
それでも、皆さんは夢の続きを見たいと思いますか。


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