第80回
腕時計のお洒落
ある時、母と銀座のカルティエに行きました。
普段「ソクハイ」のお兄さんたちと競い合って、
銀座を自転車でブンブン飛ばしまくっている私は、
「ここは、私のような者の行く所ではない」
と素通りしていました。
母はその点、「お上りさん」ですから、
どんな高級ブテックでも物怖じせずに入っていきます。
お店に入ると、一目散に時計のあるケースの前に行きました。
なんだか嬉しそうな目でケースの中を見ています。
そのうちにお店の綺麗な女性が近づいてきて
「よろしかったら、お出ししましょうか」
と優しく接客してくれました。
母は、「そっ、そっ、そんな」と謙虚です。
私は他の小物も見てみたかったので、
母から少し離れてお店の中を歩いていました。
お店を一周して後ろを振り向くと、
母がまだ時計のケースの前に立っています。
しかも、時計をとっかえ、ひっかえ
腕に付けているではありませんか。
「なーに、ちゃっかり見てんじゃないのっ!」
という私の言葉に
上品な店員さんも必死に笑いをこらえています。
「だって、私は時計が好きなんだもん」
どうやら、雑誌で時計を研究し尽くし、
名古屋の百貨店で時計を見まくっている様子で、
やたらと詳しいのです。
「ぶりっ子せずに、
最初から普通に見せてもらえばいいものを」
私はため息をつき、母に付き合いました。
母の時計の好きな理由を聞くと、納得させられます。
指輪ですと、人の視線が指に集中します。
すると、年齢を重ねているため、
手の「しわ」が目立ってしまいます。
その点、腕時計ですと、腕に視線が移るので、
手の「しわ」が目立たない、
しかも、ちょっぴり「知的」な感じがする
と言うのです。
なかなかユニークな考え方だと思いませんか。
腕時計がお洒落になる、
ということに気付いた母の方が
私よりも少し先を行っているようです。
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