第95回
何でも欲しがるマミちゃん
少し前のマツモトキヨシのCMで、
「何でも欲しがるマミちゃん」
というフレーズがありました。
可愛い女の子がマツモトキヨシにある商品に囲まれ、
「何でも欲しい」と言う内容だったと記憶しています。
女の子と本音のギャップがお茶の間に受けました。
元々可愛い女の子は無垢で、欲深いはずがない、
という一般のイメージがあります。
それに日本には本音と建前があり、
人前で本音を話す人を軽蔑するような気風もあります。
けれど、CMはヒットしました。
きっと、皆さんも何でも欲しいのでしょう。
勿論、私だって「欲しいですか?」と聞かれれば、
「何でも欲しい」と答えるでしょう。
けれど、もう少し掘り下げると、
あまりいらないのです。
古今東西、全てを充たした女性の人生を
映画や本で見てきました。
必ず、若くして亡くなっています。
持ち物は、全部シャネルで、住む家はお城、
仕事も大成功で、円満な家庭もあって、
夫からも充分な愛情を受け、
子供はみな天才児などという人生を送った人を、
私は人類が残した記録で見たことがありません。
にもかかわらず、
「私は何でも欲しい」という人がいます。
マミちゃんは人生経験の少ない、
若い女の子だから許されたのです。
これを年齢を重ねた女性が公言したならば、
CMを観ても目を覆っただけだったと思います。
欲があるから、人は生きる意欲が湧いてきます。
ですから、欲の負の部分だけを
取り上げるのはナンセンスです。
夢だって、欲があるから持つのです。
けれど、人は全てを得ることはできません。
加齢してゆけば、誰だって
人には言えない苦しみを持つようになります。
私は苦しみに溺れそうになっても、
「この苦しみがあるからまだ生きていられるのだ」
と自分を戒めるようにしています。
だから、何でも欲しくないのです。
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