第97回
お化粧の伝来も中国から?
「魏志倭人伝」の中に、
中国では白粉を一歩進んで使っているが、
倭人は朱丹で赤く塗っていた、という記述があります。
さらに中国魏の皇帝から邪馬台国の女王卑弥呼に下賜された
真朱鉛丹は、中国の化粧品ではないかと言われています。
しかし、この頃のは「美しく」なることよりも、
儀式、信仰、呪術的な意味合いの方が強いのではないか、
と考えられています。
日本の弥生時代後期のことです。
はるか、ニ千年以上前から、
どんな理由であったにせよ、
人間はお化粧によって装うという行為をしていたのです。
これは、「別の人間になる」ということが
根源の目的ではないでしょうか。
それに中国では二千年も前から「美白」が
美の基準になっていたのです。
最近の日本の「美白」流行は、
世界的にみても、珍しい現象だと言われていましたが、
中国はもっと進んでいたのだと言えます。
しかも、倭人はホッペを朱く塗っていた、
ということは頬紅を塗っていたことにもなります。
当時の埴輪を見ても、ホッペが朱い。
もしかしたら、私達の身体にあるDNAが
「美白」「頬紅」は美的であると覚えており、
現在の化粧法になっている可能性さえあります。
物事がそうなっているのには理由がありますが、
お化粧の歴史をたどっただけでも、
いろいろな国の文化が融合して現在の姿に至っている
ということが良く分かります。
二千年以上前の人達も、
「違う人」になって祈りを捧げ、
「明日は今日よりも幸せになりたい」
と願っていたと思うと、
もしかしたら人間はずっと変わっていないのではないか、
とさえ感じます。
魏国からお化粧をもらった女王卑弥呼は、
お化粧をして国の繁栄を、
そして自分の人生が幸せになること祈ったと思いませんか。
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