第106回
料理研究家を研究する
私の妹は結婚する前に、
家で料理をしたことがないにもかかわらず、
料理が得意です。
「料理しないのに、料理研究家の本を収集しているのは怪しい」
と私は感じていました。
家族には内緒で料理教室に通っていたらしく、
「まな板はこう消毒するといい」
などと今になって専門的なことを教えてくれます。
彼女は言います。
「料理研究家も、たくさん本を出すと、
珍しい調味料とか使い出すから、読者が離れてしまう。
一般の人は、子供がピーチク、パーチク泣いているのに、
そんな調味料一つを買いに、都会まで出て行けないって」
確かに、正論です。
家にある材料を使って、早く、簡単に、美味しくできる
という点が、「売り」なのですから。
しかし、本を5冊、10冊と出すうちに、
マンネリになってしまう。
感度のいい、読者はそれに気付いています。
一つの雑誌が長い間続かないのは、
こうした賢い読者が世の中に多く存在していることを
物語っています。
一方、息の長い料理研究家もいます。
妹は言います。
「いつも、トップを走っている訳じゃなくて、
何年かごとにブームになる周期がある」
またまた、その通りなのです。
所詮一人の人間が持っている知識など知れています。
いつも出しっぱなし、という状態が続けば、
その人は枯れ果ててしまいます。
ブームが去ったときに、
自分に栄養を与えておかないと、
次の波がきた時に、乗り損なってしまいます。
料理研究家に限らず、自由業の難しさは
この点にあると思います。
「一つのことを言うのに、十の栄養が必要だ」
というようなことを司馬遼太郎さんも言っていた
記憶があります。
料理研究家の知識も、十ある一つくらいの知恵
でなくては生き残って行くことができません。
また、女性が客観的に「美しい」と思われるためにも、
料理研究家と同様、
その十倍の栄養が必要なのかもしれません。
氷山の一角をみて、
「あの人の話すことは、何か美意識を感じる」
なんて、人から思われたら素敵。
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