杉浦秀子さんが掘り起こしてくれる
日常に埋もれた美のヒント

第122回
間接的に「叱る」女性をどう思いますか?

誰だって「叱られる」のは嫌です。
出来れば「誉めながら」育ててくれたらいいな、
と未熟な私は勝手なことを考えます。
けれど、色々なことをやっていると、
どうしても「叱られる」という状況になることはあります。
私本人に、直接叱ってくれるのは一向に構いません。
素直に反省をするようにします。
けれど、他人を通じて「叱られる」のが苦手なのです。
これは女性に多いと思いませんか。

本人と会っていた時には、何の問題もない、
という表情をしておきながら、
後で男性を通じてクレームを付けたり、
他の女性に頼んで、「ここを直せ」と強要したりするのは、
ルール違反だと思うのです。
勤めていたときに、非常に嫌な経験をしたことがあります。
女性の集団には独特な風習があります。
「建前で話をし、ホンネを探り合う」のです。
この文化風習にどっぷりと漬かった女性と話すときに
私の神経は磨り減りそうになります。
少し前に東京で問題になった事件がありました。
ある母親が、いつも一緒にいた別の母親に恨みを持ち、
その子を殺してしまった事件です。
この時世論は、加害者に肩を持ったと記憶しています。
私と同様に、「叱られる」「憎い」など負の感情を
陰湿な形で強要されることの苦しさを
世間の人が普段の生活で感じているからこそ、
このような現象が起こったのだと思いませんか。

確かに、女性がヒステリックに「叱っている」姿は
お世辞にも美しいとは言えません。
だからと言って、婉曲的に表現するのは、
問題を陰湿化させると思いませんか。
「誉める」という行為以上に、「叱る」ということは難しく、
それだからこそ本物の知性が問われると思うのです。
直接本人に、恥を掻かせないようにこっそり「叱る」、
というのが素敵。


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