第150回
選ばれる女性
少し前にミスコンの是非をめぐる論争が有りました。
私は自分がミス何とかに選ばれる可能性について
全く考えたことがなかったので、関心も有りませんでした。
ミスコンに反対している女性に対しても、
「そんなに人のことが気になるのは不思議だ」
とさえ考えていました。
しかし、知り合いの女の子がミスに選ばれて少し変わりました。
それ程親しい子では有りませんでしたが、
「彼女は選ばれて、私は選ばれなかった」
と応募もしていないのに落ち込んだのです。
ただでさえ私は大学に入って落ち込んでいたのです。
私は名古屋近郊の市から、名古屋の大学に通っていました。
そのキャンパスには雑誌に出てくる様な可愛い女の子達が
闊歩していました。
特に、付属高校からの女の子達は、
「私とは別の人種」と思われるほど洗練されており、
「きっと彼女達と私の人生は同じ大学を出ても違うのだろうな」
とさえ思っていたのですから。
私は自分が選ばれずに落ち込んだ理由を考えました。
それはきっと大学に落ちたのとは
少し違った種類のものであると思いました。
もしかしたら、女性同士の中から選ばれるという
初めての経験だったからかも知れません。
ミスコンは未婚の女性対象に行われます。
未婚の女性同士が競って、
「選ばれる」ということに嫌悪感を感じたのかも。
一体全体、女性は選ばれるだけで、
選んではいけないのでしょうか。
そんな筈は有りません。
女性も男性を選んで好きになるのです。
けれど、潜在的に未婚の女性が一生懸命身を飾っているのは
もしかしたら「選ばれる為」かも知れない。
また、旦那様が浮気した時に、大抵の奥さんは旦那さんではなく、
相手の女性に怒りをぶつけます。
しかも、もし旦那さんが離婚しなかった場合、
「夫は、彼女ではなく、私を選んだ」
という優越感に浸っている奥さんもいます。
人間は比較的、同性の間で
「選ばれる競争」をしていることが多いと感じます。
会社員の男性は「選ばれて」出世したい、
女性は「選ばれて」愛されたい。
勿論私だって「選ばれて」生きていきたい。
けれど、運命はそんなワガママを
私一人にだけさせてはくれません。
人は「選んだり」「選ばれたり」
が繰り返されて年齢を重ねてゆくのではないか
と色々な人を見て感じます。
|