杉浦秀子さんが掘り起こしてくれる
日常に埋もれた美のヒント

第156回
子供は絶対に私が必要

私はこの間友達とランチをしていました。
その友達はこう言ったのです。
「子供はありのままの私を受け入れ、必要としてくれる。
私の代わりにお母さんが出来る人はいないの。
そんな風に必要としてくれる人は世の中にいないわ。」
私はびっくりしました。
そして、同時にこの友達のことが改めて好きになりました。
まだ小学校にも上がらない子をあやしながら話す友達は
ご飯を食べるのも落ち着いて食べることが出来ません。
子供がお店の中を走り出しそうで大変なのです。
けれど、子供を育てることによって、
自分の存在の大きさを噛みしめています。
世の恋人達も別れてしまえば、他の人が恋人になります。
旦那さんも離婚してしまえば、新しい奥さんが来ます。
けれど、幼い子はお母さんだけを頼る。
若い女性で、
「死んでしまいたい。生きてゆくのは辛い」
という人にたまに会うことが有りますが、
もしかしたら自分のことを本当に必要とされている
実感が子育て中のお母さんに比べて少ない
ということが原因では?
私達大人は虚しさを感じないように、
子供に遊んで貰っているのかもしれません。

自分が子供だった頃を思い出すと、
もう10代になると親とべったりということは無くなりました。
けれど親がいる、ということは
心の大きなより所ではあったと感じます。
子供が親と、適当な距離が自然に出来た時、
そこからお母さん達は別の道を歩むことになります。
出来の良い子供程、親を超えて何処かに行ってしまいます。
自立した完成度の高い(?)子供程親を必要としなくなるから。
けれど親がきちんと生きているというのは、
心の拠り所にはなっているのです。
子供というのは本当に勝手極まりないですね。

しかし、一度でも「絶対に私が必要」
という経験をした女性は生きてゆくパワーを
子供から貰っていると思います。
子供が自分の手から離れても、
遠くで心配しながら見守っているだけでも、
それはそれで生きがいだと思いませんか。


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