やがて本気で好きになります

第44回
チェット・ベイカーの栄光と転落の人生

先日紹介したチェット・ベイカーは、
栄光と転落の両極端の人生を生きたジャズマンです。

誰もが羨む絶頂期の前半と、
麻薬に蝕まれ、娑婆と刑務所の往復を繰り返した人生後半。

簡単に彼の人生を追いかけてみましょう。

25歳の時の彼は、
若くして『ダウンビート』や『メトロノーム』などの
ジャズ専門誌のトランペッター部門で1位の座を射止めました。

このとき、かのマイルス・デイヴィスは、
「俺をヘタに真似した白人が、
まるでキリストの再来のように扱われていやがる」
と激怒したようです。

彼の伝記映画『レッツ・ゲット・ロスト』を見ると、
この時期のチェットは、何人もの女性に囲まれて、
まるでこの世の春を謳歌しているがごとくでしたが、
おそらくこれが彼の人生においてのピークだったのかもしれません。

ツアーに同行した親友のピアニスト、
リチャード・トゥワジクが麻薬の摂取過多によりパリで死亡、
ショックを受けた彼もヘロインに手を染めるようになります。

アメリカでは麻薬不法所持で逮捕と出獄の連続。
最後は、契約していたレコード会社が保釈金を積んで彼を出獄させ、
その後5年間、彼はヨーロッパに移り住みます。

ところが、麻薬の悪癖は抜けず、ドイツで数回逮捕され、
イタリアでも1年以上監獄にぶちこまれ、再びドイツで逮捕され、
今度はスイスに追放。
フランスでは愛用のトランペットが何者かに盗まれるという
トラブルにも遭います。

その後もヨーロッパで数度の逮捕、出獄を繰り返しながら
本国に戻ります。
1968年、サンフランシスコのジャズクラブを出たところ、
5人の麻薬の売人に襲撃され、
上唇とアゴを叩き割られ、多くの歯を失ってしまいます。
一説では、全部の歯をペンチで抜かれたともいいます。

5年後に入れ歯で復帰し、再び渡欧。
この時期の彼の写真を見ると、
若かりし日のハンサムな色男からは想像もつかない、
シワクチャなお爺さんのような顔をしていて、
その変貌ぶりには、少なからずショックを受けます。

ヨーロッパでは、
その日暮らしのお金欲しさに、
レコーディングやライブの声がかかると
飛びつくように演奏する日々を繰り返し、
1988年の5月13日の金曜日、
彼はアムステルダムのホテルから謎の転落死を遂げます。
2階からの転落死で、自殺か他殺かは今もって謎です。

このような、壮絶な人生を送ったチェットですが、
じゃあボロボロ状態の晩年の演奏がダメかというと、
そんなことはなくて、技術を超えた、
こちらの心を震わすなにかが迫ってくる音があるのです。

私が愛聴している『ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー』は、
よれよれのラッパと、
今にも消え入りそうな枯れたヴォーカルを聴けますが、
人生の酸いも甘いも噛み分けた人間にしか出せない、
諦観の入り混じった切々たる音の独白が胸に迫り、
涙なしに聴くことは出来ません。

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『When Sunny Gets Blue』
Chet Baker

1.Long Ago (And Far Away)
2.Here's That Rainy Day
3.Two in the Dew
4.I Should Care
5.Out of Nowhere
6.When Sunny Gets Blue
7.Isn't It Romantic?
8.You'd Be So Nice to Come Home To


温かで、はかないトランペットとヴォーカルの主は、凄まじい人生をおくってきた男、
チェット・ベイカー。

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2005年11月30日(水)

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