やがて本気で好きになります

第73回
デューク・エリントン

その男の名前は、エドワード・ケネディ・デューク・エリントン。

1899年、ワシントンD.C.で、
ホワイトハウスの執事の息子として生まれ、
恵まれた幼少期を過ごしました。

1923年から自己のバンドを率いて活動を始め、
75年に亡くなるまでの間、
《A列車で行こう》、《スイングしなければ意味がない》、
《キャラバン》、《ムード・インディゴ》
など、多くの作品を残した
20世紀を代表する
作曲者、編曲者、オーケストラリーダー、ピアニストです。

若き日の彼は、ニューヨークはハーレムにある
「コットンクラブ」という名のジャズクラブと契約し、
1930年代から第二次世界大戦後にかけての5年間活躍しました。

コットンクラブは、ギャングが経営のクラブ。
ジャングルを模した内装の店内で、
身体中にグリースを塗った全裸に近い黒人男女がダンスを踊る
“ジャングル・ショー”が売りでした。

このショーに相応しい音楽を作編曲し、演奏したエリントン。
作風も、ショーの内容に相応しいものとなりました。

キャッチーなメロディに猥雑さと絢爛さ、
そしてゴージャスさをも加味した作風の彼の音楽は
“ジャングルサウンド”と呼ばれました。

この独特なサウンドは、一聴してエリントンと分かるものです。
一言で言うと、“濃い”のです。
むせ返るほど濃厚、かつドロリとマッタリしたサウンド。

まさに危険な香りの漂う、妖艶な大人の音楽と呼ぶに相応しく、
彼のサウンドは、
後に出現する多くのジャズマンの手本となりました。

自分のバンドのメンバーの音や特徴を熟知しているエリントンは、
各メンバーの持ち味を生かしたアレンジをしました。

メンバーが変わればスコアを書き直すほどの徹底ぶり。
メンバーの特性を生かしつつ、
自分が求めているサウンドを生み出したのです。

若き日は、画家を志したこともあるというエリントン。
彼のオーケストラアレンジは、
まるで絵の具を混ぜ合わせて、様々な色を作り出すかのようです。

彼の濃厚なサウンドの秘密は、
楽器の音色のブレンド加減によるところが大きいのです。

まるで、キャンバスの上に絵の具を塗り重ねるかのように、
エリントンは変幻自在なサウンドを生み出していったのです。

そして、いつしか、ジャズのみならず、
アメリカを代表する偉大な音楽家として君臨するほどの存在に。
21世紀になった今日においても、多かれ少なかれ、
多くのジャズマンに影響を与え続けている巨大な存在、
それがデューク・エリントンなのです。

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『ザ・ポピュラー・
デューク・エリントン』
デューク・エリントン

1.A列車で行こう
2.アイ・ガット・イット・バッド
3.パーディド
4.ムード・インディゴ
5.黒と茶の幻想
6.ザ・トゥイッチ
7.ソリチュード
8.私が言うまで何もしないで
9.ザ・ムーチ
10.ソフィスティケイテッド・レディ
11.クリオール・ラヴ・コール


1000曲を超えるというレパートリーの中から厳選されたエリントンの代表的ナンバーがここに集結。
エリントンの入門盤としては最適な一枚です。



『極東組曲』
デューク・エリントン

1.旅行者の眼
2.デリーの青い鳥
3.イスファハーン
4.デプク
5.マウント・ハリッサ
6.ブルー・ペッパー
7.アグラ
8.アマッド
9.アドリブ・オン・ニッポン


数あるエリントンのアルバムの中でも人気の一枚。
ツアーで周った日本・インド・中東の印象を表現した組曲です。
エキゾチックな要素を曲の中に混入するのはエリントンのお家芸。
つまり、お墨つきな内容なのです。

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2006年2月6日(月)

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