やがて本気で好きになります

第93回
「桃太郎」でスタンダードを語ってみる

ジャズマンは、何故スタンダードを演奏することが多いのでしょう?
己を表現するためです。
それには、誰もが知っている曲を素材に、
自分流の味付けをするのが一番。

自分を出すんだったら、自作曲を演奏したほうがイイんじゃない?
こういう意見も出てくることでしょう。

しかし、誰も知らない曲よりも、有名曲を演奏するほうが、
より厳しい批評眼にさらされるので、
チャレンジのし甲斐があるのです。
自作曲だと、比較の対象がありませんからね。

《枯葉》を演奏するということは、
これまでに何千回、何万回と演奏されてきた様々な
《枯葉》が比較の対象とされるので、手が抜けません。
すぐに、良いのかダメなのか、新しい解釈なのか、
誰かのマネをしているのかが分かってしまいます。

これが理由の一つ。
もう一つは、制約があったほうが自分を出しやすいからです。

「なんでもいいから、話してごらん。」と言われても、
多くの人は戸惑ってしまうのではないでしょうか。

「時間は5分ぐらい。その間、何でも話してもいいよ。
ただし面白くなきゃダメだよ。」

そんなことを頼まれ、期待に応えることは、
中々難しいことだと思います。
つまり、お題目はあったほうが良いのです。
「5分間で桃太郎を話してごらん」と言われたほうが、
面白い・つまらないは別としても、
話し手としては格段に話しやすくなるのです。

この「お題目」がジャズでは「曲」になります。
そして、「ストーリー」とは「コード進行」のこと。
コード進行とは、その曲の骨格となる和音の流れです。

演奏する曲のコード進行を元に、
ジャズマンは面白い話を組み立ててゆくのです。

たとえば、「桃太郎」というストーリーでは、
かならず「川に大きな桃が流れてくる」し、
「桃から赤ん坊が誕生する」し、
主人公が「鬼が島に鬼退治に行く」。話の要点は変わりません。

面白おかしく脚色したり、語り口や言い回しをアレンジすることは、
語り手の創意工夫やセンスに委ねられるにしても、
ストーリーの進行(コード進行)は、通常変えられません。
これを踏まえた上で、話の中に自分らしさをどう織り込むかが、
ジャズマンの腕の見せ所なのです。

よくジャズと落語はセットになって語られますが、
それも同じ理由です。
古典落語は、誰もがストーリーやオチを知っています。
しかし、落語家によって面白かったりつまらなかったりします。
面白く感じるのは、ストーリーそのものよりも、
語り手の“語り”が面白いか、つまらないか、です。

オチは知っているんだけれども、
そこまでどう持ってゆくのか、過程をどう料理するのか。
これが落語ファンにとっての最大の関心ごとです。

ジャズのスタンダード鑑賞の醍醐味もまさにそこにあるのです。
耳に馴染みのある曲をどう料理するのか、
どう感動させてくれるのかが、鑑賞者にとっての関心ごと。
だから、ジャズマンは、手垢のついたスタンダードに、
自分だけのオリジナリティを盛り込もうと、日夜研鑽に励むのです。


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2006年3月24日(金)

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