時代の美意識

第16回
葉っぱの気持ち

落葉樹は春に新芽を出し、若葉から夏の青葉へと成長して、
秋には黄葉し、冬になると葉を落とします。
葉っぱの一生は一年間ですが、新芽で生まれ、
枯葉として朽ちていくサイクルは人間の一生と同じだと、
20代のときに思いました。

新芽が生まれてくる場所も、育つ環境もいろいろです。

日当たりが良くて水分もたくさんあって、
スクスクと育っていくことができる
恵まれた環境に生まれる新芽もあれば、
国道沿いの埃っぽくて
排気ガスまみれの場所に出てくる新芽もあります。
せっかく芽を出したのに、
水が足りなくて開かず枯れてしまうものもあれば、
虫や鳥に食べられてしまうものもあります。

駐車場のコンクリートの片隅、日の当たらない場所、ドブの傍…。
こんなところにも新芽は出てきます。
大きくなれないのに、毎年毎年、芽を出す姿を見ていると、
葉っぱの「生きよう」という気持ちが切なくなります。

木は、どんな環境の中でも生きようとします。
対して、人間は何と傲慢でわがままなのだろうと思うのです。

人間だろうが葉っぱだろうが、海の中のプランクトンだろうが、
みんな同じ地球という環境の中で生きています。
天災や人災に見舞われるのも一緒。
でも人間以外の生き物たちは文句も言わず、
精一杯自分たちの生をまっとうしようとします。
人間だけが生まれてきた環境や今の自分の環境に文句を言い、
ストレスという言葉の上にあぐらをかいて
不平と不満を口にします。

葉っぱに生まれた場所から逃げることはできません。
でも考えることができる人間は、
知恵を使っていかようにも環境を変えることができます。
だから、いろいろなもののせいにして文句ばかり言ってはいけない。
葉っぱはどんな不幸な場所に生まれても、
いのちにシンプルに太陽に向かい大きくなっていきます。
それを思うと、人間はもっと真摯に生きてほしいと思うのです。


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2009年7月2日(木)

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