時代の美意識

第20回
評価は人が決めるもの

この世に生まれてきた以上、
自分は自分として存在したいと思うのが人間かもしれません。
「自分を認めてほしい」という言葉は
男女関係なく私もよく耳にします。
能力、才能、やってきたこと、
それに対しての見返りをみんな求めます。

「自分はこんなにできるのに認めてもらえない」
「がんばっているのに評価されない」。
若い人ほど、
このように言う人が多いと感じるのは気のせいでしょうか。

自分の評価を決めるのは他人です。
自分では100%やったと思っても、
「今回は失敗だね」と言われたら、それが評価。
「今回はちょっとまずかった」と思っても、
「すごくよかった。また頼むよ」と言われたら、それが評価。
評価とはそういうものなのです。

もし良い評価を求めるのであれば、
努力して結果を出すしかありません。
どのようなジャンルの仕事かで結果の出し方は変わってきますが、
どんな職場でも結果を出すことは必須です。
その結果も一長一短では出せません。

自分の存在を人に認めてもらうには、
人の目に見える頑張りの何十倍もの努力が裏でいります。
それなくして結果は出せませんし、
人に「評価してくれ」と押し付けても無理です。
「これだけがんばっているのだから認めてくれ」と、
がんばりの見返りを求めるのは、そもそも筋違いです。
評価されないのは自分の能力のなさなのです。

「自分は、こんな仕事をやるつもりでここに入ったんじゃない」
という人もたくさんいます。
でも、やりたい仕事をやるためには、
今与えられた仕事を100%こなさなければダメ。
それができなければ次のステップにはいけません。
「わかってくれない」「こんなはずじゃない」
というグチや不満の中に進歩はないのです。

最初から自分の思うとおりに世の中は動かないし、
評価されるまでには紆余曲折の苦労もある。
20代の頃から結果と戦ってきた私は、そのように思うのです。


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2009年7月16日(木)

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