時代の美意識

第21回
現実と幸せの納得の仕方

人生で大切なのは、
自分の生き方に納得できるかどうかだと思います。
生きていると
「もっと○○だったら幸せなのに」
「自分はもっと評価されていいはずだ」
「なぜ自分だけ、
こんなにも大変な目に遭わなければならないのだろう」
といった思いに駆られることもあります。
その気持ちが強くなると、
どんどん人は
「もっと幸せになりたい」、「もっと裕福になりたい」、
「もっと人から認められたい」と、
ないものねだりになっていきます。

ないものねだりばかりの人生は、なんとも寂しく、つまらない。

たとえば嫁ぎ先の土地から何十年も出ることなく、
家事と子育てだけで過ぎてしまった人生も、
幸せかそうでないかは思い方ひとつ。
「こんな自分はかわいそうだ」と思えば、
人を羨み、人生を悔いることになります。
でも「こんなに孫がいて、家族が増えて賑やかになって幸せだ」
と思えば、人生に納得し、
幸せな気持ちで生きていくことができます。

私は若い頃から、死を迎えたときの最後の言葉を決めていました。

「あー、楽しかった!」と言って死んでいきたいというのが望みです
(とはいえ実際は、「ちょっと、あの仕事はどうなったの」
などと言いながら死んでいきそうですが…)。
それには人との比較ではない生き方、
自分の納得する生き様をどうつくるかが大事だとも思ってきました。

私の人生は、今のところとても楽しい。
63歳という年齢は、まだまだ洟垂れ小僧だと思いますし、
この先にはもっと試練が待っているかもしれません。

その試練ですら、
「試練とは自分の驕りと傲慢に対する、ご先祖様らの罰」
と考えれば、もう一回初心に戻って生まれ変わるための
機会を与えられたのだと思うことができます。

いい現実も悪い現実も、自分が納得すればハッピーにできます。

「あのとき、こうしておけばよかった」と、
ないものねだりで人生の幕を引くのは違う。
「楽しかった!」と言いながら死んでいけるよう、
どんなことにも自分で納得して生きていきたいと願っています。


←前回記事へ

2009年7月21日(火)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ