時代の美意識

第23回
この世に生きた意味

私は22歳のときに大病をしました。
亡くなっていく方も多い病気で、自分自身も三途の川を見ました。
生死の境をさ迷い、そこから生還したときは
「なんで助かったんだろう」と不思議でしたが、
今となれば、やることがあるから生かされたのだと思います。

当時はわかりませんでしたが、
人は誰もが何かしら使命をもって、
この世に生まれて来るのだと今は思っています。
人はやるべきことを背負ってこの世に生きている。
だから生まれてきたことには意味があるし、
死ぬというのは、果たすべき使命が終わったということ。
そのように思うのです。

私も、現在のこの仕事があるから生かされたんだなと感じます。
白状すると、かつて「死にたい」と思ったこともあります。
それを踏みとどまらせてくれたのは、
ひとりでも多くの女性を美しくすることに対し、
自分はまだ責任を果たしていないという思いでした。
子どもが困る、会社が困るではなく、
「使命をまだ果たしていないのに、無責任なことをしてはいけない」
と思い直したのです。

人である以上、心が弱くなることは必ずあります。
でも自分についてよく考えてみると、
やるべき使命が何かしらあるはずです。
それは仕事かもしれませんし、子育てかもしれません。
今のパートナーと互いを大事にしながら
生きていくことかもしれない。
大きい、小さい関係なく、
誰もが何かを必ずもって生まれてきていると思います。

私は無神論者で宗教のことはよくわかりませんが、
人に生まれるというのはすごいことです。
母が産んでくれなかったら、さらに先祖がいなかったら、
私は存在しません。
連綿と続くいのちがあって、私がいる。
そう思うと、生きているということを大事にし、
全う感をもって死んでいかなくてはいけないと
強く思うようになりました。

仏壇に手を合わせ、
「もう疲れた。早く私を連れに来て」
などと思ったりすることもありますが、
死なないということは、まだまだやることがあるのでしょう。
「果たすべき使命に向かい、コツコツ今日も生きていくか」
と思うこの頃です。


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2009年7月28日(火)

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