時代の美意識

第31回
造作の美しさと「美」は関係ない

小学生の頃に楽しみにしていたドラマで、
今でも覚えているストーリーがあります。

ある飛行機が事故を起こし
その飛行機に乗っていた主人公が意識を取り戻すと、
なぜか手術台のようなところに寝かされています。
だんだんと意識がはっきりしてくるにつれ、
主人公は自分が大勢の人に囲まれていることに気がつくのですが、
その人たちの顔を見て驚愕します。
彼らの顔には目が3つあるのです。
しかもその人たちは、主人公を見下ろしながら、
「なんて気持ちの悪い生き物なんだ」と話しているのです。

幼心にそのとき感じたのは、
驚くと共に「なるほど」って感じて、
そして「宇宙には基準がないんだ」ということでした。

私たちは、今の私たちの姿かたちが「当たり前」と思っています。
でも、違う姿かたちをしている人たちがいたとしたら、
私たちの姿かたちは
彼らにとっては異様そのものでしかないでしょう。

そう考えると、私たちが「美しさ」としているものは、
いったい何なのだろう?と思います。
もちろん地球人ですから、
目が3つある顔を美しいと感じることはないでしょうが、
今言われているような美の基準が、
果たして本当に「美しさ」なのかといえば、
必ずしもそうではないのでしょう。

美しさに対するある基準は確かに存在するけれども、
それは時代と共に移り変わるもの。
鼻が高く、二重の大きい目であることが美しいとされる美の基準は、
今の時代だからこそのものであるとも言えます。
だとしたら、
いずれ今とは異なる美の基準が出てくるかもしれません。

顔の造作の美醜なんて、所詮はそのようなものです。
ですから自分はきれいじゃない、
美しくないと悩むことなどありませんし、
美しさは造作で決まるものではないという発想が、
私のメソッドの原点になっているのです。


←前回記事へ

2009年8月25日(火)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ