時代の美意識

第45回
私が育ってきた家族

私は小さい頃、両親と離れて暮らしていました。
母は東京にある美容室の経営のため東京で暮らし、
国立大学の工学部の教授だった父は
勤めていた大学の仕事のため大阪の官舎でひとり暮らし。
兄と私は九州の母方の祖母のもとで育ちました。
一緒に暮らしたことはほとんどなく、
遠く離れてはいたけれど、私にとっては好きな父と母でした。

その父と母も共に暮らした時期はごく僅かだったと思います。
とくに母は、女性として幸せな人生だったのだろうかと、
ふとした折に考えてしまいます。
でも母が亡くなったとき、
父は「僕はお母さんが大好きだった…」と涙を静かに流しました。

父との思い出は、あまり多くありません。
覚えているのは、お寿司屋さんでウニを食べさせてもらったこと。
「宥久子、ウニって食べたことあるか?」と、
軍艦巻きを頼んでくれたのです。
それが初めてのウニ体験。
父に教えられたとおり、手でもってパクッと食べた瞬間、
「ウエッ。おいしくない……」。
「おいしいか?」
「うーん……」。

小学校低学年の私にとってはウニよりも、
うどんの入った茶碗蒸し「小田巻蒸し」のほうが
はるかにおいしかったことを覚えています。

父はハンサムで、物静かで、私にとっては憧れでした。
いつもきちんとした身なりでハットをかぶり、
自室では本の山に囲まれて常に机に向かっていました。
父の人生はまさに研究と勉学の日々。
疑問に思ったことはとことん追究する人でもあり、
納得いくまで結果を求め、理論を裏付けていく私の姿勢は、
この父譲りなのだろう。

私の家族は、祖母も祖父も父も母も、みんな独立独歩でした。
同じ屋根の下で共に暮らす家族の姿とは異なりましたが、
誰かに何かあれば手を差し伸べ、
決して心もバラバラだったわけではありません。
緩やかにつながり合う関係。
そうした家族だったから、私は人として自立できたように思います。
家族に感謝。


←前回記事へ

2009年10月13日(火)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ