中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第5回
皇帝の品も借金の担保に・・

前回、「現在、世界からコピー大国と揶揄されている中国ですが、
その独創性そして製品競争力において
世界のトップを走っていた時代があった」と書きました。
中国陶磁器は有史以来、
正に世界水準のトップを走り続けたと言えます。

ただし、それは清朝消滅と共に崩壊いたしました。
つまり、中国陶磁器の全盛期は清朝の全盛期と重なり、
その後は皇帝制の崩壊と共に衰退していったのです。
余談ですが、
ラストエンペラーである溥儀の時代に
故宮所有の一級の陶磁器は借金の担保として
中国の銀行に差し出されました。
それがその後いろいろなルートで世界に流通し、
今やコレクター垂涎の品となっているのです。

話は戻ります。
秦の始皇帝の時代にはあの有名な「兵馬俑」
そして明器として貴族のお墓に埋葬された「唐三彩」、
また宋代以降は、
時代時代の権力者つまり皇帝の命によって、
最新の技術を結集して陶磁器が作られました。

古代中国において、
玉石や金銀に価値を求めたのと同じく、
中世中国の皇帝達は陶磁器にもそれを求めたのです。
そこで、私のペンネームの由来である
「雨過天青」の話が出てきます。

「雨過天青」とは、
雨が上がった後の雲の切れ間から垣間見える
一切の濁りのない澄み切った青色の事です。

中国陶磁器が技術革命を起こし、
一気に花開いたのは10世紀〜の宋時代ですが、
そのきっかけとなったのは、
宋代の一つ前の五代十国最後の皇帝柴栄が
「雨過天青の如く、澄み切った青い焼き物を作れ」
と下官に命じた事でした。

理想の青磁の色とされる「雨過天青」の青色。
その色に最も近いと評される初期鈞窯の作品
 
←前回記事へ

2007年10月24日(水)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ