中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第15回
AM5:00 マイナス10度でのバトル

北京の藩家園骨董朝市は今も続いていると思いますが
(最近行ってないので知りません)
私が北京を去る頃には屋根も出来て
普通の工芸品市場のようになってしまいました。

そして、その頃には本物の骨董品など
殆ど見当たらなくなりました。

しかし、私が通いだした10年以上前は
まだ夜が明け切らぬ真っ暗なうちから、
ゾロゾロとどこからともなく
地方骨董ブローカーや
その獲物を狙う骨董商が大勢集まったものです。

早朝4時半頃・・土の地面にシートを引き、
ゴロンと掘り出してきたばかりの新鮮な骨董を並べ、
地方骨董ブローカー達は
鵜の目鷹の目の北京の骨董商との戦いの準備に余念がありません。

そして5時頃に市場の門が開き、
骨董の品定めと値切りバトルの火蓋が切って落とされるのです。

最初のうち私は午前9時頃に行っていたのですが、
しばらく通ううちに
そんな時間では話にならない事が分かってきました。

そして、8時7時6時とどんどん行く時間が早くなり、
最終的にはまだ真っ暗な朝5時に
開門を待つ列に並ぶまでになっていました。

冬の北京の朝5時の冷え込みは
なかなか強烈でいつも鼻水が凍ってつららになっていました。
しかし何故、私はそこまでして
骨董朝市に行かなければいけなかったのでしょうか?
いや、何がそこまでこの私を突き動かしたのでしょう。

言っておきますけども、
私は簡単に早起きできるタイプの人間ではありません。
小学生の頃などは一度玄関を出て学校に行くフリをし、
勝手口から再度家に戻り
押入れの中に隠れて二度寝するような事をよくやっていました。

そんな人間が毎週毎週休まず
丸々2年間早朝5時の骨董市に出かけた事だけとっても、
中国の骨董、特に古陶磁器に
得体知れぬ妖しい魅力がある事をわかっていただけると思います。

「もしかしたら、
今日こそはとんでもない掘り出し物に出会えるかも知れない・・」
そういう思いに駆り立てられて通った2年間でしたが、
自分なりにまずまず及第点と認められる品は
そんなにありませんでした。

北京骨董朝市で掘り出した品 その 2
       
<磁州窯花鳥文壷 元時代>

もともと、磁器という呼び名は
中国の磁州という地方の焼き物という意味で使われていました。
宋代から明代まで栄えたその地方の焼き物を磁州窯と呼びます。
後にそれが広まって硬質の焼き物全般を磁器と呼ぶようになりました。
流暢な筆跡は、本物と贋物と見分けるキーポイント。
贋物の絵は一様に硬い。
こういう陶磁器は当時大量生産された生活用品だから、
陶工も流れ作業の中でこのように熟達した絵付けの腕を身につけたのです。

 
←前回記事へ

2007年11月16日(金)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ