第16回
熾烈を極める値段交渉
早朝の骨董市では、
街の骨董屋でよくやるような長々とした値段交渉をしません。
当たり前ですよね、
まだ夜も明け切らぬ−10度の中で
チマチマと表面的な値段交渉をやっている余裕は
売る方にも買う方にもありません。
業者だけがひしめく早朝の骨董市での売買は
だいたい次のような流れになります。
(1)まずはブローカーに売値を言わせ、
それを聞くと同時にバカにしたような笑みを浮かべ
首を左右に振りながら一度その場から去る。
(2)すると必ず「じゃ、いくらなら買うんだ?」
と言ってくるので、言い値の十分の一の値段を言う。
(3)今度はブローカーが笑いながら
「貧乏人はドブで品物を探せ」などと言ってくる。
(4)一度その場を去る。
(5)同じような事を数ヶ所で繰り返しながらウロウロ歩き回る。
(6)すると、ブローカーの方から
「これが最後の値段だよ」
と前置きした上で最初の言い値から半分ぐらいの値を言ってくる。
(7)ここからが交渉のスタート。
(8)最終的には半値から更に
10パーセント〜30パーセントぐらいの所で
値段交渉は決着する事が多い。
(つまり、100元といういい値なら
20元から40元くらいが妥当な金額か)
(9)しかし本当に良い品が出た場合が問題。
売っている本人が
そのモノの価値を分からずに値段をつけているので、
たまに数人のブローカーで競り合いのようになる時がある。
そういう品物を見つけたら、
金にものを言わせて全て私が購入したものだ。
という感じで、
骨董朝市に2年間通い詰める間に
本物と偽モノを見分ける眼力は養われてきました。
いや、本物を見分けるというよりも
偽モノの海の中に落ちている宝石を拾うという感じでしょうか・・
ですので、当然何も買えずに帰る日も多くありました。
その当時に朝市で買った古陶磁器は100個以上になりましたが、
日本に持ち帰った後
もう一度吟味し本物である上に気にいったものは
20個程度しかありませんでした。
そういうものは、
日本においてはだいたい買値の20倍以上の価格で取引されました。
 |
北京骨董朝市で掘り出した品 その 3
<唐代緑釉碗>
唐時代に盛んに使われるようになった鉛を原料にした釉薬によって
綺麗な緑色に発色した逸品。
器物の一部が白く見えている部分は「銀化」といって、
長い間土中にあった事で、釉薬と土の成分が化学変化を起こし、
銀の膜が張ったようになる現象。
有名な唐三彩など唐時代の焼き物は埋葬者と一緒に
お墓に埋められる事が多く、「銀化」しているのも多い。
これも本物を見分ける一つの材料となります。
|
|