第20回
「洪憲年製」磁器の謎を追え その3
袁世凱が皇帝になる事を前提にして準備したと言われる
「洪憲年製」という銘款が器物の裏に書かれた磁器。
それらは後世人気となり高額で取引きされるようになるのですが、
それらのストーリーごと
贋作者の作ったものだという説があるのです。
と言うのは、袁世凱が「洪憲」という元号を決めたのは
1915年の年末であり、
皇帝戴冠式は2月である事から、
時間的にまず磁器の製作が間に合わないと言う事実。
また、当時は景徳鎮から北京までの陸送に
1ヶ月以上かかる時代でしたから尚更です。
それにいくら袁世凱が陶磁器好きだと言っても、
時代の騒乱の中でそこまで余裕があったのどうかにも
疑問点が残ると言うのです。
逆に中国古陶磁器研究者の中で
「洪憲年製」磁器は間違いなく存在した
という説を唱える人の言い分はこういう事です。
袁世凱は「洪憲」と言う元号を随分以前から決めており、
その時に大量の磁器の製作を景徳鎮に命じたいたという事が一つ。
もう一つは現存する「洪憲年製」磁器の品質は
清時代の官窯の作品と比べても遜色のない出来栄えで、
こんなに優れた贋作は有り得ないという意見です。
確かにこの説も頷けます。
この言い分に対して「洪憲年製」磁器は
ストーリーごと贋作であると主張する人が反論するのは、
当時はまだ清時代皇帝専属の窯、
いわゆる官窯で働いていた熟練陶工がまだ存命な上、
生活が苦しかったので、
贋作者の注文にも必死に応じたのではないかという意見です。
これにも一理あります。
とにかく、この「洪憲年製」磁器に関しては様々な説が入り乱れ、
この謎に対するロマンはつきません。
もし、香港や中国の骨董屋さんに行く機会があれば
「有没有洪憲年的瓷器?」
(ヨウメイヨウホンシェンニェンダツーチー? )
と尋ねて下さい。
そこから色々と話が膨らみ、
あなたも
筋金入りの中国古陶磁器マニアになっていくかも知れません。
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洪憲製磁器の謎は、
磁器に描かれた美女のみが知る・・・
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