中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第22回
芸術の誕生 「彩文土器」

中国において、
土器と呼ばれるものが焼かれるようになったのは
約8000年前の新石器時代だと言われます。

「粘土を焼くと硬くなる」
という事に気づいた人達が、
試行錯誤を繰り返しながら
最初の「窯」を築いたのもこの頃でしょう。

最初のうちは、
単に簡単に成型した粘土を
焚き火の中に放り込んだだけでしたが、
硬く焼き締めるために高温度を求めていった結果、
原始的な窯のようなものがつくられ、
更に使う粘土も次第に焼き物に適したものが
求められるようになっていったと想像できます。

器形も日を追う事に洗練されていった事でしょう。
一部の器用な人がどんどん土器の成型に熟達していき、
そのうちに各集落ごとに「土器界のカリスマ」
が現れたのではないでしょうか。

そういう時代が約2000年ほど続きました。
しかし、その間に土器製作の技術には
そんなに大きな進歩がありませんでした。
造形は上手くなりましたが
やっている事は基本的に小学生の図工の延長線上レベルの発想で、
縄文式土器などと同じく
器物に縄や笊を押し付け文様を作ったり、
尖ったもので器物を引っかいて文様をつけたりする程度でした。

しかし、その後土器は大きな変貌を遂げます。
「彩文土器」の登場です。
その当時「土器界のカリスマ」と呼ばれていたある男が、
鉄分やマンガンの成分を多く含んだ鉱物を摩った顔料を開発、
筆を使って器物に文様や絵を描き始めたのです。

そこから、土器の芸術性が一気に開花します。
文様を美しく見せる為に土器の表面は滑らかに磨き上げられ、
またその造形も大胆な文様をより引き立たせる為に
それに合わせて自由度を増しました。

そうして登場したのが、
有名な「仰韶文化土器」
俗に言う「アンダーソン土器」です。
(この頃の土器はスウェーデンの
アンダーソン博士によって調査発掘分析された事からこの名がつく)
このアンダーソン土器は、
その芸術性の高さから、
これらが最初に日本に持ち込まれだした
1950年後半当時に大反響を巻き起こし、
家一軒分の価格がついたと聞きます。

ただし、その後大量に発掘されたせいで
特に希少性や芸術性のあるもの以外、
それほど高額で取引きされていないのが現状です。

東京国立博物館の贓品のアンダーソン土器

文様のバリエーションは幅広く面白い。

東京国立博物館リンク
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00/processId=00

 
←前回記事へ 2007年12月3日(月) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ