中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第24回
陶磁器界のエポックメイキング

土器から陶器に移り変わろうとしている矢先、
憎き青銅器によってその主役の座を奪い取られた陶磁器界ですが、
後漢時代以降に大きな技術革新が起こります。

この技術革新によって、
一度は青銅器界に移った主役の座を
もう一度陶磁器界に引き戻す事になるのです。

そのエポックメイキング的な出来事とは「釉薬」の発見です。
最初の釉薬は自然釉と呼ばれますが、
それは窯の中で自然発生的にできたものです。
高温の釜の中で燃えた薪が灰になり、
その灰が器物に降りかかった事から
画期的な出来事が起こります。
高温に熱された灰は
胎土の中のケイ酸分を溶かしガラスに変化します。

つまり、薪を用いて陶器をどんどん高温で焼き続けているうちに、
出来上がってきた器物の表面に
何やらガラスの膜のようなものが張っている事に
陶工が気づくのです。

「灰を胎土にかけて高温で焼けばガラスになるのか・・」
そこからまた試行錯誤が始まったのでしょう。
結局、綺麗に器物の表面をガラス化させる為には
以下のような約束事がある事が分かってきました。

○1200度以上の高温で長時間焼く事。
○胎土にもケイ酸分を含んだ土(カオリン質の粘土)
 を用いる事が重要。

その二点を学んだ後、
偶然灰が舞い器物に降りかかる事を待つのではなく、
人工的に灰を水で練り器物にかけて焼く方法が考え出されました。
そして更に灰にカオリン土を混ぜておく事で
完全に釉薬をコントロールできるようになりました。

この技術革新によって、
陶磁器は二つの大きな発展を遂げ、
青銅器から主役の座を奪い返したのです。

二つの大きな発展とは、
釉薬が器物を覆う事で水が全く漏れなくなった事と、
釉薬には陶磁器の芸術的部分においての
大いなる可能性が秘められているという事に気づいた事です。

南北朝時代頃の初期青磁の釉薬

灰の中に含まれる微量の鉄分などが青色に発色する。

 
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