中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第32回
故宮秘蔵古陶磁器 北京脱出!

前回、「神品」と呼ばれた宋時代の陶磁器が
いかに貴重で素晴らしいものであったかを説明する為に、
明時代清時代の歴代皇帝達が紫禁城において
宋時代の焼き物を大切に収蔵してきた事を話しました。

今回は陶磁器本来の話から少し話題が逸れますが、
それら宋時代の一級陶磁器を主する北京故宮の収蔵品の多くが、
何故現在台湾の故宮博物院にあるか
という事についてお話したいと思います。

まず故宮宝物を
とにかく北京からに脱出させなくてはいけなくなった理由は
日本軍の侵略です。

そのきっかけとなったのは勿論1931年9月18日の満州事変であり、
当時の中華民国政府は日本軍の北京侵攻を予想し、
日本軍の略奪からそれら一級文物を守る為に
早々と故宮宝物の疎開を決定したのです。

しかし、当時の事情を書いた書物を読むと
事がそう簡単に運んだ訳でない事が分かります。
国会で論争が起こったのです。

国家が敵国の侵略を受けた時に一体何を守るべきか?
その優先順位について議論が交わされたと言います。
つまり、「領土」「国民」を最優先に守るのが
国家としての最優先義務であり、
このような非常事態において
文物の疎開について議論している時間はない
という意見も多かったのです。

しかし、政府の結論は「故宮宝物の疎開」でした。
その理由は「例え国は敗れても、修復は可能である、
しかし歴史によって培われてきた文物を一度失えば
絶対に戻ってこない」
というものでした。

私はこの決定に中国人の本質と強さを感じます。
中国では異民族による侵略と支配と統治が繰り返されてきました。
例えば宋代以降でも、遼は契丹族、金は女真族、
元はモンゴル民族、明は漢民族、
清は満州族によって統治されてきました。。

当時の指導者達は
「もし一時的に日本軍に占領されるような事があっても、
必ずすぐに盛り返せる」
と思っていたのでしょう。

それよりも戦火の中、
大変な労力とお金をかけてまで
歴史的文化財を優先的に守る事を決議した
中国人の芸術品への想いは、
我々には理解出来ない程深いものであったと想像できます。

北京の故宮博物院ですが、
超一級の文物は台湾の故宮博物院に移されました。

 
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2007年12月26日(水)

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