中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第54回
宋の五大名窯「南宋官窯」その1

北宋王朝は、
国家的に見れば決して強いものではありませんでした。

領土的に言えば唐時代の半分以下、
また商業的に言っても大した輸出品がなく、
いつも遼や西夏や金のなど
異民族の侵略に怯え続けるひ弱な国家でした。

そんな北宋王朝が中国史に誇れる大きな特色があります。
それは、文化・芸術の分野での大きな繁栄です。

特に芸術分野の大きな繁栄は、
皇帝であった「徽宗」の芸術好きに起因するのですが、
北宋時代に生み出された書画、
陶磁器の類は現在も抜きん出る評価がなされています。

しかし、国家を繁栄させる事を忘れ、
芸術的な繁栄を追い求めた北宋王朝は、
内部的に「水滸伝」で有名な庶民の反乱などで弱った所を
女真族の「金」に攻められ都を追われる事になります。

そして12世紀、北宋皇族の末裔である「高宗」達は
逃げ延びた江南の地「杭州」に都を建立します。
南宋時代の始まりです。

北を追われ、南に逃げた事は「災い転じて福と為す」と言うか、
結果的に宋王朝に大きな経済的繁栄をもたらしました。

寒い上に、農作物始め物資の乏しかった北宋の領土に比べ、
暖かく肥沃な土地の広がる江南の地は
多くの収入を国家に与えたのです。

そして、中国各地の物産が杭州に集まるようになり、
それを商う南宋は「商業大国」となりました。

また、南宋時代に一番栄えたのが貿易です。

当時、日本との貿易も盛んに行われました。
1996年、台湾海峡の海底から
当時の日宋貿易に使われた難破船が引き上げられました、
その船には数万点という大量の陶磁器が積み込まれていたのです。

つまり南宋を更に繁栄させた海外との貿易における主産品は
「陶磁器」だったのです。

輸出品として、大量に焼かれたのは
龍泉窯の青磁、建窯の黒釉天目碗、景徳鎮の青白磁などです。
これらの窯は大量の輸出品を焼く為に創意工夫が為され、
この時代陶磁器製作に大きな技術革新が起こりました。

そんな南宋時代の陶磁器のトップに君臨したのが、
「南宋官窯」で焼かれた特別の青磁でした。

南宋官窯 青磁ソウ型瓶

氷裂紋と呼ばれるヒビが迫力を増す。

東京国立博物館 収蔵品解説リンク

 
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2008年2月13日(水)

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