中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第60回
土に埋もれた町『鉅鹿』(きょろく)

中国古陶磁器に纏わることで、面白い話があります。

北宋時代、河北省辺りを流れる大河が氾濫し、
その流域にあった『鉅鹿』という町が
土砂によって完全に埋め尽くされ、
消滅してしまう出来事がありました。

そこまでは、どこにでもよくある話ですが、
この『鉅鹿』は20世紀初頭に偶然発見され、
土に埋もれた町全体が発掘される事になるのです。

つまり、北宋時代に埋められた
「タイムカプセル」がそのまま掘り起こされる事となった訳です。

勿論、土砂に1000年近く埋もれていた訳ですから、
木や紙で作られた芸術品や日常品は形を留めていません。
しかし、当時使われていた陶磁器だけは
見事にその形を遺していました。

多くの陶磁器が完品で発掘されたという事は、
河の氾濫で人や物が一気に押し流されたという事ではなく、
河が氾濫し、危険を感じた人々はそこでの生活を捨てて逃げ出し、
残された町は度重なる河の氾濫により
次第に土砂に埋まっていったと推測した方が良さそうです。

この『鉅鹿』跡地の発掘で見つかった陶磁器は
当時の人々が実際に使っていた生活臭のある日用品でした。
ですので、『鉅鹿』陶磁器の発見は
当時の人々の生活スタイルを知る資料としても
大変貴重な発見となった訳です。

『鉅鹿』の発掘で見つかった陶磁器の殆どは
当時、河北省一帯で大量に生産されていた
「磁州窯」という作品です。

現在、日本において皆様が無意識に使っている
『磁器』という呼び名は、
実はこの「磁州窯」から来ている事を多くの人は知りません。

日本でも昔から、
本来瀬戸周辺で焼かれた焼き物だけを指す「瀬戸物」が
陶磁器全般の呼称となっているのと同じ事で、
中国で広く普及した「磁州窯」の作品が
「磁器」「磁器」と呼ばれて今に至る訳です。

当時『鉅鹿』で発掘された磁州窯の多くは、
日本に持ち込まれました。

その後、それらは
世界の中国古陶磁器コレクターに拡散していく訳ですが、
現在も多くの『鉅鹿』作品が日本に遺されています。

それは、北宋時代の庶民が普通に使った
何気ない日常品の中にも
「美」を見出した日本人の感性があったからだと思います。




本文にある「鉅鹿出土品」ではありませんが、
全て宋時代の磁州窯の作品です。
磁器のふるさと磁州窯では
このように多種多彩な陶磁器が大量に生産されました。
 
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2008年2月27日(水)

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