中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第68回
二度と再現できない焼き物

青磁という焼き物は、古代中国において偶然誕生し、
その青色に魅せられた時の皇帝が作った『官窯』によって
発展を重ねてきました。

常に中国陶磁器界の主役に君臨し続けてきた「青磁」ですが、
その集大成と呼べるのは宋時代〜明時代にかけて
窯の火を燃やし続けた「龍泉窯」で焼かれた青磁の作品群です。

「龍泉窯」では、宋から明時代にかけて膨大な量の青磁が焼かれ、
それらは世界中に輸出されました。
それはMade in Chinaが世界を席巻した
最初の大量輸出品だったと思います。

特に南宋時代に優れた作品が焼かれ、
日本にも多くの品が伝世しています。
日本において、それら南宋時代の龍泉窯青磁は
その後も大変人気となり、
現代でもそれらを「砧青磁」と呼び
大変価値の高い焼き物と評価しています。

では、当時の龍泉窯の青磁が
いかに素晴らしいものであったかを示す
エピソードをひとつ紹介しましょう。

現在、東京国立博物館の展示品の中に
南宋時代龍泉窯で焼かれた一つのお碗があります。

このお碗は「馬蝗絆」(バコウハン)と
名前が付けられているのですが、
これには深い理由があります。

中国の明時代、日本では室町時代の事ですが、
時の将軍足利義政がこの龍泉窯で焼かれた青磁茶碗を
所持していました。

しかし、作陶時の土の捩れから、
使用している間にひび割れが生じてしまいます。

このお碗を大変気に入っていた義政は
「これに代わるものを送り返して欲しい」
と中国にこのお碗を送り返し、
新しいものとの交換を求めました。

しかし、中国側は「今の中国にはもはやそのようなものはない。
また新しく作ろうにも、
現在の陶工にはこのように素晴らしい青磁を作る技術がない」
と鉄の鎹でひび割れを修復して送り返してきたと言います。

この鎹が大きな蝗(イナゴ)に見える事から
このお碗は馬蝗絆と名づけられ。
現在は日本の重要文化財に指定されています。

南宋時代 龍泉窯製青磁碗
銘「馬蝗絆」

この釉色の鮮やかさと深みは、
すでに明時代の陶工には作り出せなくなっていた・・・

東京国立博物館 解説リンク

 
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2008年3月17日(月)

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