中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第71回
元王朝時代の陶磁器

チンギスハーンやフビライハーン、
そして「朝青龍」で有名なモンゴルですが、
そのモンゴル民族が中国全土を支配下に置いた時代があります。

13世紀後半に誕生した元王朝です。

元は、当時北方を支配していた「金」や
南方を支配していた「南宋」を打ち破り、
モンゴル遊牧民族として初めての中国統一王朝を打ち立てました。

では、そんな元時代の中国陶磁器界は
どんなものだったのでしょうか?

この時代の中国陶磁器を解説する事は非常に簡単で、
書く方の私からすれば
とてもラクチンな作業になり、大変ありがたい事です。

まず第一に遊牧民である彼らは、
基本的に陶磁器などと言う持ち運びにくく
割れやすい道具には関心はありませんし、
芸術などという軟弱なものに
うつつをぬかすなんて事もありませんでした。

ですので、焼き物に対して
それまでの王朝があれこれ注文をつけてきたのとはうって変わって
難しい注文をつけるような事をしませんでした。

唯一の特色ある注文は
「デカイ焼き物をつくれ」といった程度の事でした。

そういう訳で、宋時代までに栄えていた窯は、
そのまま継続して焼き物を焼き続けます。

しかし宋時代までのように、
時の皇帝達からの品質への高度な要求がない為に、
次第にその技術水準が落ちていった事だけは、
元時代の作品を見れば明らかです。

通常、陶磁器と言うのは
時代が進むに従って洗練されていくのですが、
この宋→元の時代の期間だけはその流れに逆行して、
丹精な上手モノの焼き物の姿が少なくなっていきました。

宋時代から続いてきたような名窯にとって、
元時代は「陶磁器衰退の時代」となったのです。

しかし、何事も悪い事ばかりは起こりません。

当時西アジアまで勢力を伸ばしていた元は
そこで手に入れた「コバルト」を顔料にして、
白地に青色の文様を描くという手法を生み出しました。

そしてそれは、
その後の陶磁器界を左右する程の大発明となったのです。
それは「青花」と言う技法で、
明時代、清時代に完成され、
日本にも伝えられ、伊万里焼となり、
そして今あなたのご飯茶碗となっている青と白の焼き物です。

元時代の青花磁器を代表する大瓶

英国の「デビッド財団」が保有する事から
「デビット瓶」と呼ばれる。

器物内に至正11年(1351年)の年号が
記されている為に、
元時代青花磁器の基準的作品とされる。
 
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2008年3月24日(月)

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