中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第78回
誰もが知っている「景徳鎮」

ウェッジウッドを知らない人でも、
景徳鎮と聞けば「焼き物」と答えられる程、
景徳鎮の名前は有名です。

景徳鎮とは江西省の一地方の名前ですが、
その地名がそのまま陶磁器のブランドとして
通用するまでになりました。

景徳鎮の開窯は唐代に遡ると言われています。
そして現在の景徳鎮においても、
日頃の中国人の食器から大量の輸出品
そして高級工芸品まで多種多彩な焼き物が焼かれています。

つまり、唐時代から現代まで
その窯の火は絶える事なく燃え続けてきた訳です。
世界中を探しても、
一つの窯場が約1500年も続いてきたような例はありません。
では何故、
景徳鎮だけがこれほどの長期間栄え続けられたのでしょうか?
それには大きな理由があります。

その理由とは、景徳鎮の近くにある高嶺山(カオリンシャン)に
最高の磁器土が大量に埋蔵されていたという事です

景徳鎮で焼かれている「白磁」の素晴らしさは
全てこの「カオリン土」から来ているのです。

ここで陶器と磁器の違いについて、少し説明したいと思います。
陶器は土を捏ねて焼きます。
硬く焼き締まっているに見えても
分子的にはスカスカで浸透性があります。

磁器とは、磁石を細かく砕き精製して作った磁土から作ります。
土に含まれる珪酸分(ガラス質)が多いので、
焼くとガラスに近い性質となり、水を完全に遮断します。

今でこそ、皆さんは水を通さず
カチカチに固く焼き締まった磁器を
気軽に食器として使用していますが、
それを可能にしたのは景徳鎮の絶え間ない努力のおかげと言っても
過言ではありません。

そんな景徳鎮での本格的な磁器作りは、
南宋時代に始まりました。
南宋時代には、青白磁と呼ばれるその磁土を美しさを活かした
シンプルな磁器が大量に生産されています。

それは、日本始め世界中に大量に輸出されており、
多くの国から発掘品が見つかっています。

また近年アジア近海において
宋時代の中国の沈没船が引き揚げらる事がたまにありますが、
それらの船からも景徳鎮で焼かれた青白磁が大量に発見され、
当時の景徳鎮の盛隆を裏付ける事となりました。

景徳鎮はこの時代を経て、元から明、
そして清時代に中国歴代皇帝直属の官窯として栄え、
世界一の陶磁器窯として君臨する事となるのです。

南宋時代の景徳鎮では、
このようなシンプルな青白磁が焼かれていた。

 
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2008年4月9日(水)

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