中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第90回
明時代 永楽期の陶磁器

300年以上に渡って中国を支配した大帝国「明」、
その開祖「洪武帝」に続いたのが、「永楽帝」です。

永楽帝の時代に入りますと、
政治が少し安定した事もあり、
本格的に陶磁器の生産に力を入れ始めます。

今まで皇帝直属の窯、いわゆる「官窯」は時代により
それぞれの都に隣接する場所に置かれてきました。

それが元時代に入り、
皇帝の注文品の多くは
あの有名な景徳鎮で焼かれるようになりました。
ただし、その頃の景徳鎮には
まだハッキリと皇帝の品だけを専門に焼く
「官窯」というものは存在しておらず、
レベルの高い民間の窯に発注して焼かせたものでした。

しかし、明の永楽帝の時代に入ると、
景徳鎮に「御器厰」と呼ばれる官窯が設置されます。
そしてその後、明時代〜清時代の500年間にもわたる長い間、
皇帝の直属の窯である「官窯」は
景徳鎮に存在し続ける事となります。

景徳鎮官窯のその後の発展を語る上で、
この明初期の永楽期は大変重要な時期だったと言えます。
何故かと言えば、
現在まで続く景徳鎮の精巧な磁器作りのベースとなる技術の多くは
この永楽期に作られているからです。

景徳鎮が繁栄した大きな理由は、
最高の磁器土が近くの高嶺山から採れた事でした。
そして、その最高の磁器土を
最高の状態で焼き上げる事に成功したのが
この永楽期の景徳鎮官窯だったのです。
永楽期に最高の「白磁」
(純粋に素地の色を活かした真っ白な焼物)
の製作に成功するのですが、
その作り方を簡単に言えばこんな感じです。

まずは高嶺山から採れたカオリンと呼ばれる、
最高の磁石を砕き、
それに大量の水を混ぜ、
不純物が沈澱するのを待ちます。
沈澱したら、その「上澄み」だけを汲み取り、
それを漉して細かくて真っ白い磁器土を採取します。

その最高に精製された磁器土で形造った器物を一度素焼きしてから、
ガラス質の透明な釉薬をかけ再度高温度で焼き上げます。

景徳鎮の磁器土の特徴は、その白さと腰の強さです。
その白さを活かして「甜白」と呼ばれる
真っ白で潤いのある白磁が焼かれました。
そしてまた、磁器土の腰の強さを利用して、
器物を極限まで削り、
向こう側が透けて見える程の手の切れそうな薄い焼物である
「脱胎」と呼ばれる白磁が焼かれました。

そういう永楽期の白磁は、
普通で数千万、中には億を超える値がつくものもある程、
希少で高価な焼物です。

永楽期に完成した素晴らしい白磁、
この真っ白なキャンパスに
その後の皇帝達はいろいろな色や模様を加えていったのです。


明時代永楽期の青花磁器

景徳鎮の素地の白磁の美しさは永楽時代に完成した。
<台湾故宮博物院所蔵品>
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2008年5月7日(水)

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