中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第92回
私のお気に入りの一品

今回のお気に入りの一品は「珠光青磁」と呼ばれる焼物です。
珠光青磁の珠光とは「村田珠光」の事です。

珠光青磁

汚らしい青磁碗だが、茶人には人気がある。

「村田珠光」とは室町時代中期の大茶人で、
一般的に「わび茶」の創始者と言われている人です。

日本の室町時代は、
中国において陶磁器が急速に発展した南宋時代にあたります。
ですので、当時の朝廷や幕府では中国から輸入された
高級陶磁器が大いに持て囃され、
大変貴重なものとされていました。

今でも海外有名ブランドの高級時計が
異常な高価格で取引されているのと同じ現象です。

当時、輸入されていた陶磁器の代表は建窯の天目碗です。
これは真っ黒な茶碗で緑のお茶が見事に映える事から
茶人にとっては垂涎のアイテムとなりました。

もう一つ、人気があった焼物は龍泉窯で焼かれた「青磁」です。
当時の日本では、
これほど美しい青緑色の焼物など焼ける技術はなく、
当時の人から見れば中国の青磁は正に「玉」であり、
宝石の輝きに見えた事でしょう。

権力者や金持ち達は、
この「天目茶碗」や「青磁」を追い求めます。
以前のコラムにも書きましたが、
将軍足利義政は
自分のお気に入りの青磁の碗が割れてしまった為に、
それを中国まで送り返し、
その代替品を求めた話まで残っています。

そういう高級舶来品全盛時代に、
人々があまり注目しなかった輸入雑器の中に
「美」を見つけ出したのが、村田珠光です。

村田珠光は、
天目茶碗や玉のように澄んだ高級青磁ではなく、
当時の中国浙江省の越州窯や龍泉窯、
福建省の同安窯などに散在した
輸出用雑器を焼くような周辺窯の作品を
お茶の席で好んで使用しました。

その茶碗の見た目は決して美しいものではなく、
その色は緑か茶色か分からないようなくすんだ色、
形もなんとなく少し歪んでいるようなものでした。

しかし、そんな茶碗の中に
日本人独特の「詫び寂び」の感性を見出した珠光に
多くの茶人は影響を受けます。

それ以来、茶道において
格式ばった中国製の高級陶磁器が重用される事は減っていき、
くだけた作風のものや逆に下手のものに人気が集まりました。

このように、
日本での中国陶磁器の使われ方に大きく影響を与えたのが、
村田珠光であり、また珠光が愛した「珠光青磁」なのです。

珠光青磁

こういう焼物は、普段の生活に使う茶碗として、
中国南部に散在する多くの窯で焼かれた。

 
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2008年5月12日(月)

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