中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第96回
私のお気に入りの一品

今回のお気に入りの品には格式高い名称はございません。
単なる「絵皿」です。
明時代の後期に作られたと思われるごくごく普通の日常品です。

「どうですか?この適当さと汚さ」
いや、そんな風に言ってはいけませんね。
「どうですか?この自由奔放なくだけた作風」

私は清朝時代の緻密で彩色絢爛な官窯作品も持っておりますが、
(まずそんな機会はないと思いますが)
もし無人島にどちらかを持っていくなら
間違いなくこのボロ皿を選びます。

金銭的な価値としては、
勿論清朝官窯品の方が何十倍何百倍も高額です。
でも、私は二匹の水鳥が生き生きと水面を泳ぐ姿を
多少コミカルに描いた図柄や、
勢いある筆跡で描かれた水草の背景などに大きな魅力を感じます。

この焼物は、当時最高の品質の焼物を生産した
景徳鎮で焼かれたものではなく、
下手な呉須染付などを焼いた潮州窯など
南方の地方窯で焼かれたものだと推測されます。

このような作品に対しては、
どの窯で焼かれたとかいう事よりも、
名も無き窯の名も無き陶工の熟練した技に
味わいを感じる事が大切です。

どんな工芸においても同じですが、
工芸においての一番の魅力は熟練した職工の技です。

熟練した技と言うと大袈裟に聞こえますが、
簡単に言えば毎日毎日
何十枚何百枚の皿に絵付けを繰り返しているうちに出来上がった
筆の慣れの技です。

このような流暢な筆の運びは
日々の繰り返しの作業の中でしか得られない。

私はこの皿を見る時、
私の頭には毎日毎日同じ水鳥を描き続けた
一人の名も無き陶工のおっさんの姿が浮かんできます。

近年ではこのような図柄の通常の食器類を
一枚一枚手書きする事はありません。
味気ない話ですが「プリント」と呼ばれる方法で
大量に同じ図柄の製品が焼かれます。

この作品の裏に書かれた漢字名は当時この食器が使われていた
飲食店や旅館の名前を指すものと思われます。

当時この皿にはどんな料理が載せられていたのか?
また、どんな人がそれを食べたのか?
色々な事が想像されます。

このように庶民によって現実に使われてきた古陶磁器には
豪華な皇帝の焼物にはない美しさや楽しさが存在しているのです。

皿の裏に記された店名らしきもの。
当時の情景が浮かんできます。
 
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2008年5月21日(水)

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