中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第104回
抑えられない美への探究心

明時代に入ると、
民間の窯には活気が溢れ
色々な新しい作風の陶磁器が誕生いたします。

その理由の一つに、
民間の窯への圧力や統制があった事が挙げられます。

つまり、
「皇帝の窯である官窯で作られる品と
似たものを作ったら駄目だ」とか
「民間で使える色はこれとこれだけだ」とか、
また「こういう図柄は描いてはいけない」だとか・・
そのように民間の陶磁器製作に対して
数々の制限が課せられていたのです。

しかし、人間と言うのは面白いもので、
いろいろと制限がある時ほど
創意工夫して素晴らしいアイデアを考えついたりします。

稀に出現する天才は別ですが、
普通の人は「自由に作品を作りなさい」と言われるよりも
「こういう制限の中で素晴らしい作品を作りなさい」
と言われた方が、結果は良いものです。

また精神的にも当時の陶工達は政治的な抑圧に対して
反発する意識が強かったのではないでしょうか・・
そういうものの全てが明時代の民間の窯の作品に表れています。

明時代 民間窯で栄えた「赤絵」
使える色を制限された中で、華やかさを出している。


解説リンク

では、明時代に活躍した民間の窯を
順を追って説明していきたいと思います。
まず、当時中国各地に大小いろいろな窯が作られていました。

その中でも明時代に入り
格段に規模が大きくなったのは官窯も置かれていた「景徳鎮」です。

景徳鎮周辺には数えられない程の民間の窯が集まり
それぞれの製品を競い合うように製作していた訳です。

そしてその他の有名な窯と言えば、
まず輸出用の青磁を大量に焼いた浙江省の「龍泉窯」、
そして華北一体で生活雑器などを焼いていた「磁州窯」
などが挙げられます。

また、その地の利を生かして、
南部福建省周辺には輸出用雑器を焼く沢山の民間窯が誕生しました。

明時代の陶磁器の特徴を簡単に表すとすれば、
厳格化、様式化していく「官窯」の裏で、
民間陶磁器のパワーが
大きく盛り上がっていった時代だと言えるでしょう。

 
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2008年6月9日(月)

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