中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第118回
清朝・・中国陶磁器の全盛期

漢民族の王朝であった「明」が崩壊し、
次に王朝を建てたのが「清」でした。

清王朝は、満州族による征服王朝でしたが、
その支配は270年に及ぶ長期政権となりました。
また政治的にも安定していた期間が長かった事もあり、
陶磁器を始め各分野の芸術が
大きく進歩していった時代となったのです。

特に陶磁器において、
宋時代から脈々と続いてきた「官窯」陶磁器の
集大成とも言えるような素晴らしい陶磁器が
この時代に多く生産されるようになります。

清朝の歴代皇帝の中でも
「康熙帝」「雍正帝」「乾隆帝」の三大政権の時代に
直属の官窯で至高の名品が製作されました。

それらは現在、
故宮博物院始め世界各地の博物館で見る事ができます。

そのような至高の官窯作品を含め、
清朝時代の陶磁器を大雑把に分けるとすれば、
三つのカテゴリーに分類できると言えます。

一つは至高の名品を追求した「官窯」で焼かれた高級磁器、
そして、主にヨーロッパに輸出され
シノワズリーブームを起こした注文輸出磁器、
そして国内用の生活陶磁器の三つです。

ここで、世界の陶磁器史に大きく関係するのが、
景徳鎮から大量に輸出された磁器群です。
ある意味、この磁器が当時の世界水準となり
各国の陶工はこのレベルの磁器を作る事を目指しました。

例えば、今では世界的に有名な伊万里焼(有田焼)ですが、
伊万里焼が大きく進歩したのは、
中国の景徳鎮製磁器のコピーを大量に生産したからなのです。

17世紀、一時的に中国と西欧の関係が悪化し、
貿易が途絶えた時期がありました。
その時に、有名なオランダの東インド会社が
景徳鎮製の代替品として、
日本の伊万里に中国風の磁器製作を依頼してきた
という経緯があります。

また、現在では中国製の磁器など
足元にも及ばない程高価で人気も高い磁器を作っている
ドイツの「マイセン窯」も、
実は最初は中国景徳鎮製磁器の模倣から
その歴史をスタートさせたのです。

国内的には、
中国の伝統文化を昇華させ至高の磁器を目指した「官窯」
対外的には、
様式化された美しさと実用品としての頑丈さを備えた輸出磁器。

この二本立てで、
中国陶磁器は清朝時代にその全盛期を迎える事になるのです。

中国景徳鎮製を模倣した「輸出用伊万里焼」
VOC(東インド会社)のマークが入っているのが特徴
 
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2008年7月11日(金)

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