中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第125回
清朝官窯 全盛期から衰退期へ

中国の陶磁器は皇帝を中心とした
時代時代の権力者達の要望に応じる事で発展してきた
という歴史があります。

つまり、権力者が押し付ける無理難題の多い注文に対して、
陶工達は命までかけ献身的に作陶に打ち込んできたのです。
そしてその努力の積み重ねによって、
中国の陶磁器生産のレベルは上がり続け、
有史以来世界トップの水準をずっと維持してきた訳です。

その流れの集大成が清時代、
特に康熙、雍正、乾隆、清の三大皇帝の時代となります。
この三大皇帝期に、
今までの中国の陶磁器の歴史にはなかった
新しい制度が導入されました。
それにより史上最高の品質を持つ陶磁器を
大量に生産することが可能となったのです。

その新しい行政的変化とは、
景徳鎮における官窯業を
すべて国が直接管轄するようになった事です。
特に金銭的な面での保護が厚くなりました。
景徳鎮官窯に勤務する陶工達の給与から、
完成品の北京までの輸送代まで
全て国税でまかなう事を実施しました。

それともう一つ、
景徳鎮の官窯を監督する為に中央から
「督造官」と呼ばれる役人を派遣し、
特に御器窯(皇帝本人の身の回りの焼き物を焼く窯)の
品質向上を目指しました。

そのような流れで、
清朝時代には高品質陶磁器の生産が
一大国家事業となっていったのです。
もちろん、それを可能にした理由としては
国内の安定統治からの税収アップ、
また各種貿易での利益で国家財政に
相当余裕があった事などが挙げられます。

康熙帝期の初めから、
乾隆帝期までの間に、
現在の「外貨準備高」にあたる『銀』の保有額は
10倍近くまで膨れ上がっていました。
それほど、この三大皇帝期は
中国が経済的に裕福だった時代だったと言えます。

では、そのお金は、どのように使われたのでしょうか?
清朝歴代皇帝の芸術好き、
特に「乾隆帝」の芸術好きは有名で、
国庫に貯まったお金は
富国強兵に使われるよりも
皇帝達の愉しみの為に使われていたのでしょう。

清朝中興の時期はそのように
芸術や文化が大きく花咲いた
「中国芸術文化バブル」の時代でしたが、
いつの時代もバブルは崩壊するものです。
貿易によりどんどん豊かになっていく中国を狙う列強は
中国の富を奪い返す作戦をひっそりと練っていたのです。

そして、清朝も三大皇帝の全盛時代を過ぎ
国内的にも綻びが見え始めた頃、
アヘン戦争が勃発、
その後の中国陶磁器は
中国の衰退に合わせるかのようにその品質を落としていくのです。

つまり、康熙、雍正、乾隆、清の三大皇帝の時代と共にあった
中国陶磁器の全盛時代が
中国8000年の陶磁器史の中での全盛期となったのです。

現代の中国陶磁器を歴史的に見れば
「陶磁器暗黒の時代」という程、
陶磁器学的に新しい発展の無い時代が続いています。

清朝雍正期に作られた「粉彩」の名品

東京国立博物館所蔵
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2008年7月28日(金)

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