中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第159回
中国名窯探訪 吉州窯

今回の「中国名窯探訪」は吉州窯です。

吉州窯は江西省吉安市永和鎮にその窯を置き、
南宋時代から元時代にかけて多くの焼き物を焼いた窯です。

吉州窯はどちらかと言えば、
白磁や青磁、黒陶器などの
安っぽい雑器を大量に焼いた窯なのですが、
当時流行したお茶の影響からか
黒いお碗(天目碗)の一部だけに限って
素晴らしい名品が遺されています。
それら名品には吉州窯だけにしかない装飾が施されています。

ですので、吉州窯と言えば
独特の装飾法を用い、お茶に使える天目碗を焼いた窯
と覚えておけば良いと思います。

それ以外の焼き物にはあまり見るべき点がありません。

吉州窯だけの独特の装飾法には、
「木の葉焼き付け」「釉薬の二重掛け」
「切り絵の貼り付け焼成」などがあり、
それらは一目見れば吉州窯と分かるほど
個性的なものとなっています。

そして、奇妙な事にそれは全く同時代の
他の窯に伝承されていないので、
吉州窯の独自性が更に際立っています。

また吉州窯では同じような作風のものでも、
気合いの入った厳しい仕上がりのものと、
大量生産的なおざなり作風のものが存在します。

この理由として、私は以下のように推測いたしました。

まず、お茶に使う目的でなされた特別の注文に応じる為に、
様々な修飾方法が発明された。

それら高価な特注の天目碗が大変人気となった為に、
ある程度の期間をおいてそれらの焼成技術が確立し
歩留まりが良くなり一個当たりの単価が下がってから、
一般製品としても焼いた。

多分、こんな感じだったのではないでしょうか。

ただ、そういう中でも以前にこのコラムでも紹介した
「木の葉天目」だけは別格と言えます。

それは現存する数が大変少ない事から言っても、
大量に生産できるような焼き物ではなかったのでしょう。
何百個の内に一個しか
成功品が出ない焼き物はやはり売り物にはなりません。

もう一つ、吉州窯の技法が他の窯に伝承していない理由を
私はこのように推測します。

当時、喫茶の流行からお茶に利用する天目碗の競争が激しかった。

新しい作風の天目碗は高価な値が付くので、
どの窯もその技法を競い合った。

南宋時代当時、天目碗で一番名をはせていたのが福建省の建窯で
それらは日本にも多く輸入されているほどだった。

建窯では、すでに真っ黒なお碗以外に
「油滴」「耀変」「禾目」など
鉄分の化学変化による修飾法を確立させていた。

それら他の窯に対抗するかのように吉州窯でも新技術に挑戦し、
それを完成させた。

勿論、その技法に関しては門外不出他言無用の緘口令が敷かれた。

それは建窯の耀変などの技法などにも言えることで、
私はすでに南宋時代には
厳しい商売的な競争があったと推測しています。

吉州窯で一番有名で希少な「木の葉天目」

釉の上に剪紙を貼り
秘伝の方法で焼き上げた「玳玻天目」

同じような作風の焼き物でも仕上がりの丁寧さはバラバラ
左が最高の部類、右は大量生産品
 
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2008年10月15日(水)

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