中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第186回
私のお気に入りの一品

今回の私のお気に入りの一品は「宋三彩草花紋小盤」です。

この焼き物は、日本ではよく
宋三彩と呼ばれていますが実は宋時代のものではありません。

宋時代は北宋時代と南宋時代に別れていますが、
何故分かれているかと言えば、
北宋時代に北から女真族の「金」という国が
中国北部を侵略し占領してしまったからです。

このお皿は中国北部の磁州窯という所で焼かれたものですが、
これが焼かれたのはちょうど
「金」が中国北部を占領していた時代なのです。

つまり、王朝的に言えば宋時代の焼き物ではなく
金時代の焼き物と呼んだ方が正確だという訳です。

侵略が多かった中国において、
そういう国家的な争いと陶磁器の進歩の歴史は切り離せません。
遼(契丹族)→北宋(漢民族)→金(女真族)→元(蒙古族)
→明(漢民族)→清(満州族)、
中国の王朝はその都度支配する民族が変わっています。

そういう民族的な個性や支配地域で採れる材料などが
陶磁器の製作に大きな影響を与えていったのでしょう。

だからこそ、中国陶磁器にはあれほどの多様性と
芸術性が生まれたのだと確信しております。

今回紹介する小皿も
そういう異民族独特の感性が反映されたものなのでしょう。

征服王朝である「金」は
狩猟、農耕、採集、牧畜などを営んでいた民族でした。

占領した宋時代の磁州窯では
大変地味なモノトーンの焼き物ばかりを焼いていましたので、
彼らの感性からすれば、
もっと色とりどりにいつも接している自然美を表現したかった
と思います。

この小皿には、
そういう異民族の感性の息吹が吹き込まれているのです。

金時代の磁州窯で焼かれた小皿
とても愛くるしい絵付けである  
同時代の漢民族のものとは少し違う感性

「化粧がけ」と呼ばれる手法
お世辞にも綺麗といえない胎土を白土でコーティング

宋時代までの磁州窯は基本的に
地味なモノトーンの作品ばかり焼いていた
 
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2008年12月17日(水)

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