中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第225回
沈没船からお宝が・・(1)

私の独断で決めた中国古陶磁器界の三大ニュースと言えば・・・

1 20世紀初頭洛陽市の鉄道工事現場で
  大量の唐三彩が発見された事

2 中国古陶磁器の中でも最も希少で高価といわれる汝窯の窯跡が
  1986年河南省清涼寺で発見された事

3 1975年に韓国新安沖で中国元時代の沈没船が発見され、
  大量の古陶磁器が引き揚げられた事

この三つですが、その中でも中国古陶磁器学会に
一大センセーションを巻き起こしたのは3の「沈没船」です。
今回はその話をしたいと思います。

1975年に韓国新安沖で中国元時代の沈没船が偶然発見され、
しばらく調査された後、無事に引き揚げられました。

その発見は考古学的に見ても、
歴史学的に見ても大変重要な発見となりました。

まず、人々の関心が集まったのは、元時代の中国船の構造です。
30mほどの水深の場所に沈んでいたにしては、
船は大破しておらずかなり原形を留めていました。

引き揚げられる「沈没船」
奇跡的に原形を留めている

しかし、我々中国古陶磁器ファンからすれば、
船なんてどうでも良いんです。

とにかく、船に積載されていた陶磁器が気になります。
実は、この韓国新安沖付近では沈没船発見以前から
中国古陶磁器が魚網に引っかかるという事が頻繁に起こり、
すでに密売団はこれに目をつけていたという話です。

その噂を聞きつけた当局により密売団は検挙され、
正式に沈没船の探査が始まったと言います。

結局、沈没船を引き揚げた結果、
この船は1323年に中国の慶元(現在の寧波)を出航、
博多に向かう途中で沈没したものと見られています。

そして、研究の結果、
注文主は「京都東福寺」という事が判明しました。

肝心の積荷は、約2万点に及ぶ陶磁器や金属器と
重量にして約30トン近くの銅銭が主です。

それだけの貿易をしていた「京都東福寺」の財力や権力、
これの対価として中国側は何を持ち帰っていたのか?
などの疑問も尽きませんが、
やはり私が気になるのは積載されていた中国古陶磁器の内容です。

引き揚げられた中国古陶磁器・・

その詳しい内容については次回に続きますが、
いずれにしても、鎌倉時代の頃
こんなにも大量に輸入される程
中国陶磁器が日本で人気を博していたとは驚きです。

 
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2009年3月18日(水)

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