第226回
沈没船からお宝が・・(2)
1975年に韓国新安沖で発見された
中国元時代の沈没船に積まれていた
中国陶磁器についての話の続きです。
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沈没船から引き揚げられた中国陶磁器
中には国宝クラスの品も・・
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中国古陶磁器ファンにとって、
沈没船は正に「お宝満載のタイムカプセル」となりました。
もちろん、すでに博物館でしか見られないような
素晴らしい陶磁器をこの目にできた事もあるのですが、
それよりも1323年の中国では
このような作風の作品が作られていた
という事実が証明された事が大きいのです。
先日のコラムの「デイヴィット瓶」のように、
器物自体に年号が記されてある例など殆どない訳ですから、
古陶磁器製作の年代は
状況証拠を固めつつ推測するしかありません。
そういう中で、2万点にも及ぶ各地有名窯の作品が
その正確な製作年代を教えてくれた訳ですから、
研究者達にとっては値千金の資料になった事は確実でしょう。
では、およそ2万点にも及ぶ
中国陶磁器の内訳について見ていきましょう。
まず、一番多かったのが、浙江省にあった龍泉窯の青磁です。
これが全体の60%近くを占めていました。
龍泉窯はその地の利を生かして、
当時世界各国に大量の青磁を輸出するようになってましたので、
これは当然の事でしょう。
日本で国宝に指定されている「万声」
という名の龍泉窯の有名な瓶があるのですが、
沈没船からはそれと同型の作品も発見されています。
次に多かったのが、
景徳鎮周辺や福建省辺りで焼かれたと思われる青白磁や白磁、
そしてやはり福建省周辺で焼かれた思われる
黒釉陶器なども大量に発見されています。
この辺の陶磁器は、
どちらかと言うと青磁のような高級品ではなく、
日々使用する食器や茶器だったのではないでしょうか。
その他、河南省の鈞窯や河北省の磁州窯、
江西省の吉州窯、福建省の建窯など
とにかく中国各地の陶磁器が積載されていました。
この事実から見ると、
中国各地の有名窯はすでに国内需要以上の生産能力を持ち、
常に輸出を意識していたと言えるでしょう。
そして、沈没船から引き揚げられた中国陶磁器には
もう一つ興味深い事実があります。
それは、船が沈んだ当時
つまり元の時代に焼かれた陶磁器だけでなく、
南宋時代に焼かれたと推測される「骨董品」も
僅かに積まれていたのです。
以前のコラムに「馬蝗絆」という青磁碗を紹介しましたが、
これも南宋時代の龍泉窯青磁です。
室町時代に将軍足利義政が所有していた「馬蝗絆」が割れて、
それを中国明時代に送り返し同じ物が欲しいと言った所
「南宋時代に焼かれた青磁の再現は不可能だ」
と言われた話が残っています。
そういう宋時代の中国陶磁器への強い憧れのようなものも、
この沈没船の積荷内容から見て取る事ができます。
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沈没船から引き揚げた中国陶磁器は
現在、韓国木浦海底遺物展示館に展示されている
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