中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第230回
中国古陶磁器オークションより

骨董全般に言える事ですが、
中国古陶磁器の価格も色々な理由で変動します。
その中でも価格変動の一番の要因は社会の経済的な理由です。

最近の中国骨董のように、
国自体が経済発展を成し遂げ大金持ちが増える事によって
その価格が大きく上がる事はよくあります。
60.70年代の日本、80.90年代の韓国でも同様の事が起こりました。

また価格変動の要因として需給の変化があります。
中国では1970〜80年代のインフラ工事で多くの墳墓が発見され、
それにより大量に発掘された古陶磁器が
市場に流通するようになった事で
古陶磁器の価格が暴落した事もあります。

中国古陶磁器の新しい発掘は1990年代まで続いたのですが、
さすがに最近では掘り尽くしたのか、
大きな発掘のニュースを聞かなくなりました。

そしてもう一つ、
中国古陶磁器の研究が進む事により
物の価値が変わる事が稀にあります。

中国古陶磁器の本格的な学術的研究は、
特に日本人を主とした
外国人研究者が主導してきた経緯があります。

しかし、戦後は外国人が各地の窯跡などを発掘調査する事など
完全に不可能になった訳ですから、
中国古陶磁器の研究は中国人学者に委ねられる事になりました。
そこで中国古陶磁器の研究は随分遅れたのです。

しかし、中国の改革開放以降、
中国古陶磁器の近代的研究は急速に進み、
今まで定説となっていた学説などが覆され、
それにより古陶磁器の価値までが変わってしまう
という事が起こりました。

今回、紹介する古陶磁器2点は
90年代のオークションに出品されたものです。

どちらも北宋時代の鈞窯で焼かれた澱青釉の青磁です。
特に上の赤紫色の焼き物は、
植木鉢の下皿として皇帝の住む紫禁城で使用されていたもので
大変高価なものでした。

実際、この時のオークションでも
日本円で2000万円以上で落札されています。

下の方の澄んだ発色の青磁も北宋初期のもので、
これも日本円で1000万円以上で落札された大変高価な焼き物です。

しかし、最近の研究と発掘調査により、
今まで北宋の作とされていた上の方の鈞窯の焼き物は
実は明時代後期に焼かれたものだという事がほぼ確認されました。
焼かれた時代が実に500年ぐらい若くなった訳です。

日本で言えば、西暦2500年の未来から見て、
戦国時代に焼かれたとされていたものが
実は平成時代に焼かれたものだと判明したのと同じ事です。

やはり、古陶磁器としての価値は
基本的に古く希少な程上がる傾向にありますので、
時代が若いと判明した以上、
今後のこの明時代鈞窯の価値は下がる事になるでしょう。

そして、逆に下の方の鈞窯は
北宋時代の焼き物の特徴を備えている事から
その希少価値がさらに高まり、
その価格も大きく上がっていく事が推測されます。

「北宋時代」の作品だとされていたが
最近の発掘調査で明時代の作と判定された。
私もこの手の鈞窯からは北宋独特の精神性や
様式美が感じられなく、ずっと疑問に思っていた。

こちらは典型的な「北宋様式」の鈞窯
この手の鈞窯は「官鈞」として、
皇帝に献上されたもの。
今後更に大きく値上がりする可能性がある。
 
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2009年3月30日(月)

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