第236回
基本「一元も払わない」
今回は「中国料理」の番外編となります。
私は以前、北京で
四川料理のレストランを経営していた事があると
このコラムでも紹介しましたが、その時の話を少し。
まず何故私が北京でレストランを開店する事になったかと言えば、
本当に偶然が重なっての事でした。
1990年私がまだ25歳の頃、
たまたま日本で知り合った中国人留学生と意気投合し、
何故か、当時中国で唯一対外交易が許されていた小売商である
「北京友誼商店(フレンドシップマート)」と共同で
中国物産展を日本で開催する事になったのです。
本当はその時の話の方が滅茶苦茶面白いのですが、
今回はとばします。
結局、その中国物産展で儲かったお金を元に、
北京友誼商店の海外事業部の担当者だった人と合弁会社を設立し、
レストランをオープンしたのです。
つまり、その人は国有企業を辞めて、
当時はまだまだ珍しかった個体戸(個人経営者)に
下海(都落ち)した訳です。
場所は北京の中心を東西に走る長安街の西の方、
軍事博物館の敷地の横を借りてのものでした。
日本円約1500万円で100坪ほどの結構大きい店が建ちました。
お客さんの多くは軍関係者で個人の会食よりも
そういう人の宴会で売り上げをあげていました。
「で、儲かったか、儲からなかったか?」という事ですが、
一年目二年目は気分が悪くなるぐらい儲かりました。
一ヶ月の売り上げは
だいたい35万元ぐらい(当時の日本円で500万円)
それに対して純利益は毎月20万元以上ありました。
それを出資比率の7:3で分けるのですから、
私には毎月日本円で200万程度の現金が入ってきた事になります。
(その後、私が働かないので比率が悪くなった)
初期投資は半年で回収し、
その後の利益は不動産や
国債や古陶磁器購入などに当てていました。
ではここからが本題なのですが、
私のレストランは何故それ程売り上げがあり、
また「利益率」が良かったのでしょう。
これには、いろいろと理由がありますが、
売り上げが良いのは軍関係者が使う「国の金」のおかげ、
利益率が良いのは「基本、一元も払わない」という
えげつない商売システムにあったのです。
(水曜に続く)
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