中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第237回
続、基本「一元も払わない」

私が、北京で開店したレストランは
開店後二年間程は驚くぐらい儲かった訳ですが、
その理由も驚くべきものでした。

商売の基本は、収入を増やし出費を控えるという事ですが、
当時の中国ではとにかくこの「出費を控える」
という事が徹底されていました。

例えば、食材の仕入れ代金などを
請求通りに支払う事は絶対ありません。

基本的には「払わない」という所からスタートします。
まず、問題点を見つけて
「こんな品質の物に金なんて一元も払えるか!」とやる訳です。

勿論、業者側も必死に抵抗してきます。
そして、口角泡を飛ばしつつ相手と交渉する訳ですが、
相手の計量の杜撰さや計算ミスに付け込んで
できるだけ有利に事を運びます。
(相手も肉に水を注入したり、
はかりを改造したりの悪事を働いていますので)

最終的には、何日も交渉した上に
相当安い金額で商品を購入する訳ですが、
売る側もそれでもお金を払ってくれればマシな方だ
という感覚がありますので、取引きは続く訳です。

当時の中国での飲食業において、
それほどに仕入れは大変な作業でした。
ですので、私の店でも
専用の人材を4人も置いて対応していた程です。

また、人件費についても同じです。
当時の中国人社員の給料は満額でも驚く程安かったのですが、
さらに何かと罰金をつけて減額します。

その他、地方から出てきた人には
研修期間の三ヶ月は食と住は与えるが給料なし
という制度がありましたが、
三ヶ月後に殆どの人をクビにする訳です。
それを繰り返していると殆ど人件費はいりません。

日本人である私は、
「こんなやり方絶対長く続かない」といつも言っていましたが、
誰も理解できませんでした。

彼らにとっての商売とは
できるだけ経営者が短時間に多く稼ぐ事であり、
お客様や社員、業者さんらと共存共栄していく事など
想像すらできなかったのです。

まだ本当の意味でのサービス業など普及してなかった時代における
中国式経営とはそういうものだったのです。
そして、そういう能力が高い人が
良い経営者だと呼ばれていたのです。

まぁ、今では中国のサービス業も随分発達し、
都会ではこういう経営はなくなったでしょうが、
地方ではまだまだ
こんな感じの経営者が多いのが実情ではないでしょうか。

 
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2009年4月15日(水)

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