第242回
まぁ、たかられるわ、たかられるわ 2
今回も『中国料理』の番外編で、前回の続きです。
前回のコラムでは「中国で商売する上で一番肝心な事、
と言うか大前提は店を潰されない事だ」と申し上げました。
その為に中国では、
経営者は料理やサービスなどの
基本的なレストラン経営などを放ったらかして、
その対策に追われる日々を送ることになるという話もしました。
では当時の中国において、
店が流行るとか、流行らないの前に、
『単に通常営業する事すら簡単じゃない』
という理由を説明いたします。
一つ目は、国家権力の前では個人営業主など
何の権利もなかった事です。
今は随分改善されたと思いますが、
当時の中国では
まだそのような意識が浸透していなかったようです。
私のお店は結局4年程営業しましたが、
5年目には敷地周辺一帯に国のデカイ建物が建つ事になり、
立ち退きを余儀なくされました。
私の場合は、投資も半年で回収し、
その後けっこうな利益をあげていましたので、
「仕方ないなぁ」程度で立ち退きましたが、
悲惨な目に遭った店もいくつかありました。
例えば、私の店から
さほど遠くない所にできたばかりの韓国料理店は、
開店の数ヶ月後にはもう解体が始まっているという有様でした。
この店は外装に凝った大型店で、
当時のレートで2億円かけたという話ですから、
数ヶ月で立ち退きでは泣くに泣けなかった事でしょう。
でも、そういう問題はそれぞれの国の事情であり、
こちらも最初からある程度認識して挑んでいる訳ですから、
文句は言えません。
そんな事よりも、店を続けていく為にもっと大変なのは
周辺との「関係」です。
それを痛感させられたのは、
開店後3ヶ月程が過ぎ店が評判になり
お客様で溢れるようになった時の事です。
ある夏の夜、突然停電しました。
真っ暗になるわ、クーラーは消えるわ、
料理は作れないわで大騒ぎです。
当時は店内だけでなく、
店外の敷地にもテーブルを置きお客様を入れていたので、
そちらも真っ暗で大騒ぎとなっています。
この突然の「停電事件」、
只ならぬ予感を感じさせながら、
次回に続きます。 |