第270回
ニセモノはすべて台湾製?
日本において、鑑定が難しい品を見ると
何故かすぐに「台湾製のコピーだ」
と言う専門家が多く存在します。
これは何が原因でしょうか?
また、真実はどうなのでしょうか?
私は今回、台湾を訪問し、
その問題についてもう一度じっくりと考えてみました。
まず、「台湾で精巧な贋作が作られている説」が
日本で流布され出したのはいつ頃の事でしょう。
これは最近の事ではなく、
少なくとも1950年代頃にはそういう話が出てきます。
その後、一部の日本の骨董屋さんの間では
よく分からない中国古陶磁器(特に清朝官窯品)に対して
「この手のものは台湾辺りで作られた贋作だね」
という決まり文句を使う事が流行するようになっていきます。
しかし、私が実際に中国本土
そして台湾、香港などの中華圏において
自分の足でいろいろな陶磁器を見てきた経験からすると、
この「ニセモノ全て台湾説」は推測だけで成り立った
極めて不誠実な話であると断言して良いと思います。
やはり殆どのニセモノは景徳鎮や
古い窯跡がある中国本土で作られていると私は見ています。
しかし、台湾で作られているとしか思えない
大変精巧な贋作群が存在する事も事実のようです。
そういう話を中国の贋作業者から直接聞いた事があります。
では、台湾でしか作る事のできない贋作群とは
一体どんな手のものでしょうか?
今回はそこに焦点を当ててみたいと思います。
まずそれは、正に真品に迫るほど精巧に作られた
明朝や清朝の官窯作品の倣品(写しもの)だと思います。
そして、その非常に精巧な
明朝や清朝の官窯作品の倣品と言うのは、
下手すれば国際的なオークションの鑑定も
通ってしまう程のレベルの一点ものでしょう。
そういう「特別の一品」と呼べる程の贋作は台湾で作られていて、
それ以外の贋作は基本的に中国本土で作られていると思います。
何故なら本土の方が簡単に安く、
そしてあるレベルまでは上手く作れるはずなのです。
ここからは私の全くの推測ですが、
台湾で非常に精巧な明朝や
清朝の官窯作品の倣品が作られるようになった流れは
こんな事ではないでしょうか?
1930年〜40年代、国民党率いる蒋介石は日本軍の進軍や
国共内戦によりどんどん南下していき、
最終的には台湾へ逃れます。
その際、蒋介石は歴代中国皇帝が収集した秘宝を
紫禁城から運び出し、
最終的には台湾まで持ち逃げる事に成功します。
そして、蒋介石国民党は台湾まで敗走していく中、
中国の歴史的宝物だけでなく、
実はもっと大切なものを同時に
台湾へ持ち帰ったのではないかと思うのです。
そういう歴史的な流れが、
ここ数十年間「中国古陶磁器のニセモノの多くは台湾製」
という風評を作った原因だと思います。
詳しくは、次回に続きます・・
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中華民国時代の景徳鎮で作られた磁器
その作行きは清朝全盛期と変わらない程見事
まだ、骨董と呼べる年代に達していないにも関わらず
国際オークションにおいて
数百万円の値がつく事もある。 |
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