中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第271回
台湾で精巧な贋作が製作できる理由

前回からの続きです。

全ては推測の域を出ませんが、
台湾では隠密裏に相当精巧な贋作作りが続いていると
私は考えています。
その理由として、一番大きいのは「技術の伝承」です。

例えば、江戸時代まで日本が誇った数々の工芸技術の多くは、
今やもう廃れてしまっています。
例えば総理大臣が「過去の工芸をもう一度作れ」と命令しても、
もはや誰もそれを再現できないのです。

また、いくらお金を積んでも、
職人にそのレベルの技術がなければどうしようもありません。

それと同じように、現在の中国景徳鎮の職人のレベルでは、
もはや清朝官窯の精品と
見間違うようなレベルの贋作は作れないと思います。

その理由しては、最高レベルの技術の伝承が
為され続けていない事が挙げられます。

私は、現在流通する精巧な景徳鎮製倣官窯磁器
(前回コラムの写真のような品)の製作年代を
民国成立の1912年から1930年代初頭と見ています。

その頃の景徳鎮にはまだ清朝時代の官窯職人が在籍し、
公的な要求や民間的な需要に対応していたと思われます。

しかし、その後の日本軍の侵略から第二次世界大戦、
そして共産党と国民党との内戦などの戦いの日々が続く中、
景徳鎮職人の間で最高レベルの技術の伝承が
難しくなっていった事は容易に想像がつきます。

そして、その技術の伝承を断ち切るトドメが
1966年から10年続いた文化大革命です。

文化大革命時代には、高級な陶磁器製作を「旧文化」と見なし、
職人や経営者を帝国主義者として吊るし上げ、
また景徳鎮の窯は破壊されました。

少し大袈裟かもしれませんが、
そこで有史以来5000年続いてきた中国陶磁器の歴史は
一度幕を閉じた訳です。

ですので、新中国になっても
中国本土の陶磁器製作技術に見るべきものはありません。

そういう歴史の流れの中で、
景徳鎮職工が台湾に大量に移動していても
なんの不思議もないでしょう。

まして、国民党は戦火の中を
わざわざ大量の陶磁器や絵画など故宮秘蔵宝物を移動させるほど
芸術文化に関心がある人達です。

台湾に逃げ延びる際、
故宮秘蔵宝物と共に各分野の優秀な職工や
芸術家などを帯同していたと考えることに私は矛盾を感じません。

その後、彼らは国の庇護の下、
延々と技術の伝承を続けてきた事でしょう。

世界の古陶磁器市場にたまに表れる清朝官窯の完璧なコピー品は、
そのような陶磁器職人が製作したものが
何かの理由で市場に流通してしまったものだと私は考えます。

そういうもの中には、
すでに完全な本物として認められている品もある事でしょう。
そういう品は正に特別のものであって、
一般人が目にする事はできませんし、
骨董屋さんが簡単に買えるような品物でもないのです。
それほど、台湾製の倣官窯品のレベルは高いのです。

最近では、中国製の贋作のレベルが上がり、
また数も多いので、
普通に目にするニセモノは
まず中国本土で作られていると認識しておいた方が無難です。

ですので、いつまで経ってもニセモノを見れば
すぐに「台湾製、台湾製」と言い出す骨董屋さんの言い分は
間違っている事になります。

※今回のコラムは全て私の推測に基づいて書かれたものですので、
決して事実を述べている訳ではございません。

清朝官窯磁器の倣品の製作過程の展示、
完成品のレベルは相当高い
 
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2009年7月3日(金)

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