中国民俗研究家・上田尾一憲が語る、中国民俗の魅力

第40回
口車で出世。

皇帝玄宗が正式に楊貴妃を妃としたのは
玄宗が61歳、楊貴妃が27歳の時で
年の差はなんと34歳もありました。
しかし、年は離れていても楊貴妃は
玄宗の大きな愛をしっかりと受け止め、
毎日幸せな日々を送っていたそうです。
ある日、いつものように楊貴妃と玄宗が
仲良くしている側で、
女官たちが池のほとりにいた
番いの鴛鴦を見ていた所、
玄宗は「鴛鴦を見るよりも、
仲のいい私たちを見てなさい」と言ったそうです。
それを聞いた女官たちは
どう思ったのかはわかりませんが
そんな事言われると、
ちょっと恥ずかしいですね。
っていうか今だとちょっとサブいですね。

でも、玄宗が楊貴妃を
此の上なく愛していた事がよく伝わってきますね。
楊貴妃もそんな玄宗に
いつでもどこでもピッタリと付き添っていました。
玄宗が囲碁を打っている時に、
いつも隣で寄り添って見ていた楊貴妃は
玄宗の旗色が悪くなると、
いつも連れているペットの犬を乱入させて、
碁盤の上を走らせ
グチャグチャにしたそうです。
そんな可愛い楊貴妃を
玄宗は益々好きになっていったのです。
このように2人は周りの事も一切考えずに
いつも一緒に愛を語らい、
誰もその2人の世界に
割って入ることはできませんでした。

皇帝の玄宗は国の事も
政治の事も何も考えず、
ただ楊貴妃に愛を注ぎつづけたのです。
楊貴妃はまさに国を傾けるほどの美人、
傾国美人でありました。

国が傾いてくると、
その国を狙おうとするものが当然現れてきます。
その1人として、
ソグド人と突厥人のハーフであり
5ヶ国語をも操り、
非常に口の上手い安禄山(アレクサンドロス?)
という辺境の要地に
おかれた軍隊で働いていた者が現れます。
彼は非常に機転がきき、
口が上手かったので見る見るうちに出世しました。
そして、さらに出世をするために
とうとう楊貴妃と玄宗にまでつけこみ始めました。
彼は楊貴妃と玄宗の間に
子供が生まれないという弱点を突き
楊貴妃の16歳年上であるにもかかわらず
持ち前の巧みな話術でついに養子となったのです。


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