中国民俗研究家・上田尾一憲が語る、中国民俗の魅力

第44回
お金を出せば美人になれる?

野蛮族である匈奴の所へ嫁ぐというのは
当時文明国であった漢王朝の人からすると
もうそれはとても耐えられない事でした。
彼らは遊牧民族であるために
家を持たず、北方の冬の寒い時も
あちこちを馬で走り回り、
野ネズミ等の獣の皮を身にまとい
食べ物も調理することはあまりなく
馬上で生肉を食らい、
寝る時も馬上に体を傾けて休み、
戦闘を繰り返しているような
生活だと言われていました。

ちょっと大袈裟ですが、
当時文明国の人たちは皆そう思っていたのです。
そんなところへ嫁に行くのは誰だってイヤですよね。
しかし、王昭君は選ばれてしまったのです。
なぜ、3000人の中から王昭君が選ばれてしまったのでしょう。
それにはこのような経緯があります。

当時後宮の中には3000人もの膨大な数の宮女がおり
皇帝はその中から、夜に相手をしてくれる女性を
毎日選んでいましたが、
人数が人数なのでそれを選ぶだけでも大変でした。
そこで、宮廷画家に宮女の肖像画を画かせ、
それを見てから相手を選んでいました。
宮女達は皇帝の相手をし、子供でも生まれれば
自分の地位は確保されたも同然。
しかも大勢の中から選ばれる事は難しく
皇帝に1回も選ばれることなく老いて
後宮を後にする者も多くいましたので
少しでも美しく画いてもらい皇帝の目に止まるようにと
宮女達はその画家に賄賂を渡すようになりました。
ブサイクな人でも賄賂が多い分だけ美人に画いてもらい
賄賂が少なければ、
美人でもそこそこの画しか画いてもらえなかったのです。

みんなが競って賄賂を画家に渡す中
王昭君はそんな画家の不正が気に入らないのか
それとも自分の容姿に自信があったのか
色々な説がありますが、
とにかく彼女は画家に賄賂を渡さなかったのです。
その結果、王昭君は3000人の中でも
一番ブサイクに画かれてしまったのです。


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