中国民俗研究家・上田尾一憲が語る、中国民俗の魅力

第45回
女の中の女。

皇帝はあんな野蛮な所に、
可愛い子を嫁に出すはずがなく、
沢山いる宮女の中でも
一番ブサイクな女性を匈奴へ出すこととしました。
そこで、皇帝は画家の画いた宮女の肖像画の中で
超〜ブサイクな女性の肖像画を見つけだしました。
これだけブサイクなら野蛮族の生活にも
しっかり打ち解けるだろうと思ったかどうかは
わかりませんが、自信満々でその絵を選びました。

その超〜ブサイクな肖像画は賄賂を
一銭も払わなかった王昭君だったのです。
さて、その選ばれた超〜ブサイクな宮女が
匈奴の地へと出発する日
皇帝は匈奴の野蛮人へ嫁ぐかわいそうな女性に
別れのねぎらいの言葉をかけてやろうと会う事にしました。
そして、謁見の間に現れた、王昭君を見て
皇帝とその周りにいた家来達は、
あまりの美しさに空いた口が塞がらず
しばらくの間、その王昭君の美しさに見惚れていました。

我に返った皇帝は、宮内一の美女を野蛮族に
差し出さなければならなくなった事を
それはもう悔しがりましたが、もう決まったこと。
いくら騒いでも後の祭りです。
そこで、怒った皇帝はすぐに宮廷画家を呼び
「市中引き廻しの上、処刑!!」と命令したのです。
その後王昭君は
馬に乗り、山あり谷あり、砂漠あり草原ありの
道のり約2000キロもある北方の匈奴の地へと
向かったのです。

そして、匈奴の乎韓邪単千(こかんやぜんう)の
妻となりましたが、間もなく乎韓邪単千がこの世を去り
この匈奴の掟で単于が亡くなるとその子供の妻と
ならなければいけなく、それを拒んで自殺したという
王昭君悲劇説が残っています。
この説の他にも、王昭君は匈奴の乎韓邪単千に嫁いだあと
匈奴の人々に非常に大事にされ、男の子を1人生み、
その後乎韓邪単千が亡くなった後は掟どおりに
息子の復株累単于(ふくしゅるいぜんう)の妻となり、
女の子を2人生み
過酷な自然環境と異文化の中で皆に慕われながら
たくましく暮らしたそうです。
このような女性には憧れますよね。
王昭君・・・まさに女の中の女です。


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